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3、過去と迷いと

 爪先が沈み込みそうなくらいに毛足の長い深緑色の絨毯も、壁に設えられた銀の燭台も、柔らかすぎる寝台も、どこかよそよそしくて落ち着かない。侍女が案内してくれた豪奢な客間は、少年にとって一種、居心地の悪さを感じさせた。
 表向きは薬師の弟子ということになっているから、グレイグと同室なのが救いだったが、1人別室に通されたエマはどうしているだろう。
 溜息をつきながら、エルンストは寝台に腰を下ろした。思ったよりも身体が深く沈み込み、転びそうになるのを何とか踏み留まる。
「本当に……、申し訳ありませんでした。」
 おもむろに降ってきたしおらしい声に顔をあげれば、向かいの寝台に腰を下ろしていたグレイグが深く頭を下げた。
「え? 何が?」
 思わず目を瞬いて問い返すと、青年はゆっくりと顔を上げた。そこには深い疲労の陰が刻まれていて、エルンストは小さく息を呑んだ。
 先程王が言っていた「今にも倒れそう」という言葉が、冗談ではなかったのではないかと思えるくらいに、その面差しはやつれていた。
「陛下にあなたのことを勝手に話してしまったことです。」
「え? ああ、でも……。」
 エルンストは曖昧に言葉を継ぐと、黙って考えを巡らせた。確かにグレイグが言い出そうとした時には、少なからず動揺した。けれど、その一方で、不思議と心のどこかで覚悟はしていたような気もした。第一、今の気分はそれほど悪くはないのだ。
「でも……、僕がグレイグでもそうしたと思うし……、本当はあの時、言って欲しい気持ちもあったのかもしれない……。」
 一生懸命に考えを巡らせながら、少年は自分なりの言葉を慎重に紡いだ。
「だって、あんなに悲しそうな人の顔、初めて見たし……、僕でおなぐさめできるならどんなに良いだろうって思ったのも確かだし、陛下が喜んで下さって僕も本当に嬉しかったし……。でも……。」
 ぽつぽつとながらも、流れを切ることなくここまで話して、エルンストは言葉を止めた。自分の言ったことに嘘はなかったが、それでもじわりと胸の奥に湧いてきた不安があった。
「僕はこれから、どうすればいい……?」
 形になった声は小さいものだったが、実際に口にしてみるとそれは、恐ろしく重たく感じられた。
 生まれ育った、帰るべきスラムは焼けてしまってもうない。皇族や王族としての生き方など想像もつかない。それどころか、生命さえ脅かされる状況にいるというのに、何が起こっているのかすらわからないのだ。
「……ごめんなさい、王子。僕にもわかりません。元を辿れば僕達の力不足に行きつくというのに……。ただ、今は無事にこの事態を乗り切ることだけを考えて下さい……。」
 エルンストの問いに軽く目を伏せたグレイグの言葉もまた、沈痛な響きを持っていた。
「ごめんね、グレイグ。そんなつもりじゃあ……。これまでだって、グレイグとエマが僕をここまで連れて来てくれたのに……。」
 エルンストは慌てて首を振った。そもそも、自分がどうすれば良いかなど、人に答えを求めるような問いではないことくらいはわかっていた。そうとわかっていながら、つい目の前の青年に甘えた自分が腹立たしくなって、少年は強く拳を握った。
「王子……。」
 小さく呟きを漏らして、グレイグも言葉を切った。
 しん、と音をたてたかと思うほどに重い空気が舞い降りて、静かに積っていく。2人とも、言葉はもちろん、視線すら交わさぬままに、ただ時間だけが流れて行った。
 部屋ごとそのままに凍り付いた頃、不意に小さく扉が叩かれて、永遠に続くかとも思われた沈黙が破られた。
 グレイグがゆっくりと立ち上がり、静かに扉を開けた。外に立っていた侍女と二言三言言葉を交わし、銀の盆に載ったものを礼を言って受け取ると、部屋の中へと向き直る。侍女は丁寧に一礼すると、扉を閉めて静かに去っていった。
「……それは?」
 グレイグが盆を小机に置いたのを見計らって、エルンストは短く尋ねた。
「この地方に生えている植物の葉を乾かして粉にしたものです。強壮作用があるので、薬によく使いますが、染料にもなります。……陛下が手配して下さったのですね。」
 盆の上のものを改め、いくつかの小皿に入ったそれを混ぜながら、青年はごく淡々と答えた。ぼそりと最後に付け加えられた呟きで、国王の配慮がエルンストにも察せられた。言い遣った召し使いも訝しむことなく、薬草だと思って手配したことだろう。
「これで染めると、渋めの茶色に染まります。……そうですね、エマの髪より少し深い色になりますかね。」
 相変わらず視線を作業中の手許に落としたままで、グレイグは静かに呟いた。その言葉に、エルンストは黙って青年の前に座る。
 いつの間にかある種の覚悟でもできていたのか、不思議と気持ちは穏やかだった。
「では……、染めますね。」
 青年の短い言葉にも、エルンストは小さく頷いただけだった。
 グレイグも黙ったまま作業を始めた。手際よく粉を混ぜ、水指しの水を加えてかき混ぜる。その軽い音が心地よくて、エルンストは小さく息を吐いた。
 そのままグレイグに髪を任せていると、どこからともなく安心感が湧いてくる。互いに視線が交わらないのがかえって気分を落ち着かせてくれるらしく、自然と疑問を口にしても良いような気になってくる。
「……ちょっと聞いてもいい?」
「何ですか?」
 応えた青年の声も穏やかで、本当に何でも聞いて良いのだと思わせられる。
「この国では金髪は目立つって陛下はおっしゃってたけど……。」
 ほんのわずかの時間考えた後、エルンストは一番当たり障りのないと思われる質問を口にした。
 確か、金髪碧眼はエスラント民族の特徴だったはずだ。なのに、ここエスラントで金髪が目立つというのは今ひとつ腑に落ちない。
「そうですね。別に深い理由があるわけではありませんが、説明すると少し長くなりますねぇ……。」
 ゆっくりと手を動かしながらグレイグが静かな笑みをこぼした。
 

 

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