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「もともと、金髪だけじゃなく、エスラント民族の特徴って子孫に伝わりにくいのですよ。他民族と血が混じれば、まず金髪の子は生まれません。まあ、だからこそ人種による厳密な階級制度ができたわけなのですが。」
 手を休めることなく話し始めた青年の口調は、ちょうどリオルにいた頃にいろいろと語ってくれた時のそれと同じで、少年の胸に一抹の懐かしさを感じさせた。
「けれど、人の意識っていうのも結構変わるものでしてね。そうですね、2、3世代程前からエスラントの貴族層の間で、混血や他民族を含めた庶民の娘を妻に迎えるのが流行っているんですよ。……その背景には、エスラントの法があるわけなんですが。」
 グレイグはほんの一瞬手を止めて、わずかに声の調子を上げた。おそらく、ぱちぱちと数度瞬きをしていることだろう。話の途中で次々と新しい話題へと膨らんでいくのもいつものことだ。
 もっとも、最後には必ず本筋へと戻ってくるのだが。
「エスラントには、王家の後見になれる家柄が5つあります。コルツ、マイヤー、シュミット、ベック、リヒテンベルク。この国の5つの地方の領主を持ち回りで受け持つので、まとめて『五領家』と呼ばれています。特定の家に権力が集まってしまわないように、この五領家は、王家の人間との婚姻が禁じられています。逆に言えば、良家の娘を娶らなくても立場が保証されているということですね。実際、初めて庶民の娘を妻にしたのは、この五領家の1つなのですが、そうなると他の家やもう少し低い階級の家に広まるのも早かったようです。」
 青年は一息つくと、再び手を止めた。手にしていた刷毛を置き、持って来ていた荷物の中から白い布を取り出してそれをエルンストの頭に巻きながら、淡々と言葉を続けた。
「だから、ひょっとしたら王宮内では、今はむしろ金髪の方が少なくて、純血を守っているとなると王族関係くらいと言っても過言ではないかもしれません。まあ、その一方で、身分の低い層にもエスラントの血が濃く出る人も増えてきているようですが……。何にせよ、金髪だと妙な詮索を呼ぶかもしれないと陛下は思われたのかもしれませんね。」
「……。」
 だとしても、そこまで心配するようなことだろうか。ふとわいてきたその疑問を、けれどもエルンストは口にはしなかった。
 グレイグの話しぶりからは彼が同じ疑問を抱いているようには思えなかったし、まだまだ自分の知らないことがたくさんあってもおかしくはない。
 けれど、そう自分を納得させようとするほどに、鉛のような違和感が胸にわだかまる。
「さて、終わりましたよ。今夜はそのまま寝て下さい。明日の朝には染まっているはずです。」
 だが、軽い口調の青年の言葉に、それを口にする機会も失われた。
「……そういえば。」
 にこりとどこかわざとらしいとさえ思える笑みを浮かべるグレイグに、エルンストはふと再び胸にわいてきた別の疑問を口にした。
「陛下はさっきグレイグのこと、違う名前で読んでたよね?」
「え? そうでしたっけ?」
 青年の方はそらとぼけた顔で、目まで瞬いて見せた。
「うん、ミハエルとかどうとかって……。」
 エルンストもきょとんとした顔をしたままで、言葉を継ぐ。
「ああ、それはですね。早く言えば、僕の父はシュミット家の人間で……、つまりはエスラントの高官だということですよ。」
 グレイグは苦笑いをすると、面倒くさそうに頭をかいた。
「シュミット……。」
 エルンストは青年の言葉をぽつりと繰り返した。確か、先程聞いた「五領家」の中にあった名前ではなかったか。
「まさか、リオルの居住区の片隅にいるのに、ミハエル・シュミットなんて名乗るわけにはいかないでしょう? ま、見ての通り、僕はエスラントよりエレムの血が濃いですから、名前さえ変えてしまえば、いくらでもごまかせますからね。」
 言い捨てるかのようにさらりと続け、グレイグは穏やかな笑みを浮かべた。
「それにしてもあなたも……。ご自分のことじゃなくて、僕のことを聞かれるんですね。」
「あ……。うん……。」
 エルンストは歯切れの悪い返事を返すとうつむいた。
 何でも聞いて良いと言われているのはわかっていたが、何から聞けば良いのかがわからなかった、否、聞くのが怖かった。
 気になっていたのは、自分の生まれのことよりも、むしろルッツやエマや、その母親のアンナのことだった。ルッツもエマも指環のことを知っていたのだ。本来なら、スラムにいるような人間ではないのだろう。
「まあ……。入り組んだ話ですしね。話すのも聞くのも時間がかかることでしょう。今日はもう休みましょうか。明日からはかなりの長旅になりますからね。」
 エルンストの戸惑いを読み取ってか、グレイグは小さく笑みを零して寝台に潜り込もうとした。
「あの……。」
 エルンストが思わず呼び止めると、青年は身体の動きを止めた。
「その……、お母さん……や、他のみんな……は、僕がいたから……スラムに?」
 青年が振り向かなかったのが幸いだった。エルンストは一番気になっていた問いを、精一杯の言葉で口にした。
 生まれた時からスラムにいたエルンスト自身は、そこでの暮らしに不満も不自由もなかったが、他の人間がどうだったのだろうか。そう思えば、答えを聞くことどころか、はっきりとした言葉で問うことさえ、恐ろしく感じられた。
 グレイグは向こうをむいたまま、しばらく思案しているようだったが、おもむろに口を開いた。
「少なくとも、僕の目から見ると、スラムでのテレーゼさまはお幸せそうでした。むしろ皇宮におられた頃よりずっと……。ルッツやエマや、アンナがどう思っていたかは、僕よりあなたの方がよく知っているはずですよ。変な引け目とか思い込みを捨てて眺めれば、ね……。では、おやすみなさい。」
 グレイグは相変わらず向こうをむいたままだったが、彼の言葉はエルンストの戸惑いに、正確に答えていた。
「……ありがとう。おやすみなさい。」
 エルンストは小さく呟くと、自分の寝台に潜り込んだ。

 

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