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「ささ、さぞお疲れでしょう。どうぞ、お座り下さい。」
宿の主人は愛想良く3人を出迎えた。勧められるままにテーブルにつくと、ほどなくパンと温かい飲み物が並べられる。
「これは、このあたりでとれる木の実を焼き込んだパンで、こっちはこけももの汁をしぼったものです。先程頂いた山鳥を煮込んでいるところですので、スープはしばらくお待ち下さいね。」
手際よく料理の説明をすると、主人は再びにっこりと笑って奥へと引っ込んだ。人好きのする中年の男だが、無駄な話をしないあたりは、やはり心得ているのだろう。
「では、お言葉に甘えていただきましょうか。」
エルンストは食欲を感じないままにテーブルの上を眺めていたが、グレイグの言葉に促されて、木をくり抜いて作られたコップへと手を伸ばした。口元に近付けると、甘酸っぱい湯気がふわりと少年の鼻をくすぐった。鮮やかな赤色の液体をそのままゆっくりと口に含むと、暖かな優しい甘味がじんわりと疲れた身体に染み込んで行くようだった。ついで、凛とした酸味が、その後を追うように走る。
「……おいしい。」
半分眠り込んでいた身体が目覚めたかのように、テーブルや柱の木の匂い、ほっこりとしたパンの匂い、奥で煮えているだろうスープの匂いが入り込んで来た。途端に、忘れていた空腹が戻って来て、エルンストはパンへと手を伸ばしていた。
少年に遅れて、おそるおそるといった風情でコップに口をつけたエマも、幾分その顔をほころばせ、おずおずとながらも、やはりパンへと手を伸ばした。
そうこうしているうちに、山鳥を芋や野菜と煮込んだスープが運ばれてくる。少しとろみのついた薄味スープの中に、鳥の肉と色とりどりの野菜が浮いている、素朴ながらも滋味に溢れるものだった。
熱いそれを一生懸命吹きさましながら口にする子どもたちの顔に笑顔が戻るのを見てから、グレイグは料理に手をつけた。
食事が終わると、宿の主人はやはり手際よく、階上の部屋へと案内してくれた。手持ち無沙汰になった3人は、そこに置かれた簡素なベッドにそれぞれ腰を下ろした。
「ご飯はおいしかったですか?」
「うん、すごく。」
おもむろにグレイグが口を開くと、エルンストは小さく微笑んで答え、エマもはにかみながら頷いた。
「それはよかったです。人間、腹が減ってはいくさはできませんからね。」
子ども達の様子に、グレイグも穏やかな微笑みを浮かべる。
「でも、グレイグはあまり食べてなかったじゃない。」
少し元気を取り戻したエマが心配そうな視線を向けると、青年は笑みを苦いものへと変えた。
「僕はもともと食が細いんですよ。」
「だから大きくならないんだ。」
すかさずエルンストがからかうと、グレイグは軽く口をとがらせた。
「放っておいて下さい。第一、まだあなたには抜かされていませんよ。」
3人は軽口をたたきながら少し笑って、しかしすぐに黙り込んだ。いつもなら、こういう話の時に一番生き生きとしている少年がいないことに、3人が3人とも思い至ったのだ。本当なら、さっきのエルンストの台詞は彼のものだったのに。
「……ねえ、グレイグ。」
いつしか部屋の中に舞い降りていた重い沈黙を払い除けるように、エルンストが口を開いた。じっと床を見詰めていた青年と少女が、ゆっくりと顔をあげる。
「これ、のことだけど……。」
エルンストは一瞬ためらって、それでも意を決して木箱を握った手を差し出した。傍らで、エマが息を呑む気配がする。
「教えて……欲しいんだ。これが何なのか。」
ちくりと胸のどこかが痛むのを感じながらも、少年はまっすぐにグレイグの顔を見詰めた。
「……いいんですか?」
エルンストへと注がれた、いつになく真剣な青年の眼差しは、食い入るように強く、少年はそれから逃れるように視線を手の中へと落とした。
彼の手の中から見返す木箱は、手にとった重さや重心の位置から、中に穴があいているようだったし、振ればかすかに中で何かが動く気配がした。
だが、箱といっても蝶番があるわけでもなく、蓋と身の間の切れ目のようなものも見当たらない。掌にちょうど収まる大きさのそれは、一見すれば形だけ整ったただの木片のようでさえあった。
けれども、間違いなくルッツはこれを取りに炎の中へ戻っていったのだ。
「……知りたい。何を聞いても後悔しない。」
エルンストはゆっくりと視線を上げた。奥歯を強く噛み締めて、未だ試すような眼差しを緩めない青年の顔をまっすぐに見据える。
不安がないわけではないし、迷いが消えたわけでもない。けれど、ルッツが命までかけたのに、その意味を知らずに逃げ続ける気にはどうしてもなれなかった。
「……そうですか、参りましたねぇ。」
しばし張詰めていた静寂の糸を、グレイグが小さな溜息で断ち切った。
「まさかこんなに早く決めるなんて……。僕にも心の準備というものがいるのに……。まあ、これも血筋というやつでしょうね。」
とぼけたように頭をかいて、再び大きな溜息をつく。
「いいでしょう、約束です。エマも、いいですね。」
青年の言葉は穏やかながら、断固とした響きがあった。グレイグは少女の返事を聞くこともなく立ち上がると、扉の外を覗いた。誰にも聞かれないように、とのことだろう。
少年が慌てて隣を伺うと、エマは今にも泣きそうな顔をして俯いていた。せっかくのエルンストの決心がぐらつきそうな程に、その表情は痛々しかった。
「エマ……。」
心配げにエルンストが声をかけると、エマはようやく顔をあげた。少女は少年に視線をくれることなく、きつく唇を噛んだままで、戻って来た青年を見詰め、無言で小さく頷いた。
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