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2、母の面影

「その箱を貸して下さい。」
 グレイグの事務的な口調にエルンストは我に返った。手に握っていた箱を、おずおずと青年に差し出す。グレイグはそれを受け取ると、指先でつまみあげ、注意深い視線を注いだまま、調べるようにゆっくりと回した。
「これは、古(いにしえ)のエレムのからくり細工の一つです。要は組木細工なのですが……。」
 再び口を開いたものの、明らかに彼の注意は手元に注がれたまま、口調も全くの棒読みで、説明が片手間になされているのは明らかだった。
「特殊な技術がありましてね、継ぎ目も判らないように組んであるんです。本来なら棚や小間物入れの隠し抽き出しとして使う技術です。知らない人間にはとうてい開けられるもんじゃありません。中にものが入ってるとも思わないでしょうね。」
「ちょっと待って、古のエレムって。」
 ともすれば聞き逃しそうなくらいにさらりと出た言葉に、エルンストは思わず口をはさんだ。エレムというのがこの地方の先住民の一つであることくらいはエルンストも知っている。今ではすっかりエスラントと同化して、エレムの血の混じっていない人間の方が少ないことも。
 けれど、「古の」と頭につくと話は別だ。エスラント侵攻以前、エレムは高い技術と独自の文明を持っていたと言われているが、その痕跡は伝わっていないとされている。「古のエレム」「失われたエレム」といえば、ほとんど伝説や言い伝えにも等しい。今は残っていないからこそ「古」なのだ。
「ええ、そうですよ。エレムが独特の技術や文化を持っていたのは真実です。エレムはエスラントの侵攻の際、同化して血を薄めていきました。それと同時に独特の文化や風習なども失われていきましたが、少しは伝わっているものもあります。それに、少数ですが、昔ながらの暮らしをしているエレムもいるのですよ。」
「え? それって……。でもどうして……?」
 あまりにこともなげに返された答えに、エルンストは唖然とした。けれど、グレイグの方はそんな少年の様子に気付く風もなく、箱をランプの光にかざしたり、ひっくり返したり突ついてみたりと余念がない。
「ああ、僕の母と祖母は純血のエレムですから……あ、ここだ。」
 グレイグは不意に言葉を切ると、箱を回していた手を止めた。途端に目つきが真剣味を増す。
 まだまだ聞き足りないことも。納得のいかないことも、いくらでもあったが、こうなると質問をしても無駄なのは明白だった。
「……。」
 諦めたエルンストが青年の手元に目を落とすと、グレイグは箱の一部をひねりながら引っ張った。複雑な形をした木片がぽろりと落ちる。
 一つ外れてしまえば、次、また次と木片は外れていった。それは、もともとが四角い形を作っていたとは思えないほど、複雑で奇妙な形をしていた。
 そして、半分ほど形を失った箱の中には、何か金色に光るものが残っていた。グレイグはそれを丁寧な手付きでつまみあげると、エルンストの掌にそっと置いた。それは、輝かしい色を放つ、小さな金の透かし彫りの指環だった。何かの紋章を象るその中央には、澄んだ青空のような小さな石がはめこまれている。
「これは……。」
 一見して高価なことがわかる代物に、思わず手を引っ込めそうになったのをなんとか抑え、エルンストは目を瞬かせた。
「ここに彫ってあるのは、エスラント王家の女性が使う紋章です。つまりは、リオルの皇后になる資格を持ったエスラント王女の証。……あなたの、お母上のものですよ。」
「え……。」
 グレイグがあまりにさらりと言ったので、危うく聞き流すところだった。その言葉の意味に気付いたエルンストが思わず眉を寄せて青年を見返しても、そこにいつもの笑みは浮んでいなかった。やり場のなくなった視線を傍らのエマの方へと移すと、少女も黙って俯いていた。
 じわりと背筋に汗が滲む。全く知らない世界にたたき落とされたような感覚に襲われて、エルンストは小さく声をもらした。すぐそこにあったはずの音も色も、すべてが自分をおいて、どこか遠くに消えてしまったように思えた。心のどこかで「冗談ですよ」という言葉を切実に待っていた。
「つまり、あなたのお母上はテレーゼ皇妃、お父上はゲルハルト皇帝陛下です。」
 が、グレイグの方は少年のそのような動揺を気遣う風もなく、冷たいとも思える断定口調で付け足した。
「ちょ、ちょっと……。」
 ややもすれば溶けてどこかへ流れてしまいそうな意識をなんとかつなぎとめようと、エルンストは必死で言葉を紡いだ。
「本来なら……。」
 静かに話を続けようとしたグレイグは、突然言葉を切った。呆然としたままの少年の指を唐突に折らせ、その掌に指環を握り込ませる。
「このまま握って隠していて下さい。」
 押し殺した声で青年が囁く。その視線は、扉側の壁へと注がれていた。ぼんやりとしながらも耳を澄ますと、少年の耳にもわずかながら靴音と甲冑の音が聞こえてくる。
 強く握りしめた掌の中の指環が、灼けつくように熱く感じた。かたく結んだその拳から、自分の脈の音さえ聞こえてくる。顔まで熱くなってくるような気がして固唾を呑んでいると、扉の前で足音が止まる。一瞬の静寂の後に、軽やかなノックが響いた。
「はい、どうぞ。」
「失礼。」
 グレイグの声に応えて顔を出したのは、将軍の令嬢だった。輝くような金髪はわずかに濡れているようで、前髪の先には小さな雫が揺れていた。
「まだ休んでおられなかったか。こちらも雨に降られて舞い戻ってきたよ。」
 アイリスはそう言って苦笑すると、濡れた前髪をかきあげる。が、不意にその手を止めて目を瞬かせた。
「何だ、意外とここの主人は気が利かないな。エマ、こちらへおいで。」
 先程からずっと俯いていたエマは、突然呼ばれて驚いたように顔を上げた。
「いかに師や仲間とはいえ、男と同じ部屋だと困るだろう? わたしの部屋に来ると良い。」
 エマが居心地悪そうにしていた理由を勘違いしたらしく、アイリスは優しげな口調で手招きした。
「え、でも……。」
「遠慮はいらないさ。部屋は3つしか空いてないのだから。いくら何でも男どもを全部一室に押し込めたりしたら、このお2人が潰れてしまわれる。」
 エマが戸惑った顔をするのにも構わず、令嬢はにこりと笑った。このままでは自らエマの腕をとっていきかねない。
 断りきれなくなったエマは、ゆっくりと腰をあげた。まだ躊躇いは充分にあったが、この後のエルンストにどう接したら良いかと考えると、この部屋に残るのも居心地が悪い。その意味では、この令嬢の誘いは好都合でもあった。
「では、明日の夜明けに出発しよう。良い夢を。」
「あの、アイリスさま。」
 再びにこりと微笑んで去ろうとしたアイリスを、グレイグが呼び止めた。
「こんなことを申しては何なのですが……。もう少し道中を急いで頂いても構わないでしょうか。」
「おや、もっと飛ばしても良いのか、それは助かるな。思いきり飛ばせば、そうだな、あと2日で向こうに着こう。」
 振り向いたアイリスは、2、3度目を瞬かせ、嬉しそうな表情を覗かせた。
 その彼女の口にした日数は普通の半分で、そこはかとなく嫌な予感を漂わせてはいたが、早く着けるならそれに越したことはない。
「お願いします」とグレイグが頭を下げると、アイリスは機嫌よく笑い、そして思案顔になった。
「そうだな、アルは馬の扱いが荒いから、明日からはローに御者をしてもらうか……。何にせよ、苦しくなられたら遠慮なく申されよ。それでは、今夜はゆっくり休まれると良い。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
 アイリスの横でエマも寝る前の挨拶を口にすると、2人の姿は扉の向こうへと消えた。

 

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