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 高々と昇った月は、リオルの城壁に遮られることなく、城北の墓地を照らし出した。いずれ大湿原、そして湖水地方へと続く帝都の北は、夜ともなれば昼にも増して湿った空気が漂い、雲もないのに雨上がりのように濡れた月は、やや煙ってさえ見えた。
 ここに葬られた死者たちの啜り泣きでも聞こえてきそうな月明かりの下、ジークムントは黙って佇んでいた。彼の目の前には、新しい黒い土が軽く盛り上がっていた。しばしそれを見詰め、彼は右手に持っていた剣をそこに突き立てた。名を刻んだ墓標の代わりだ。
 軽く唇を噛み、ゆっくりとその前に跪く。身に付けた甲冑が、がしゃりと耳障りな音をたてた。冷たい土の感触が、甲冑を通してさえ伝わって来る。じくり、と血の滲んだままの包帯で覆った右目がうずいた。ほんの少し眉を寄せ、彼はぎこちない手付きでゆっくりと十字を切った。
「これはこれは、ハウゼン将軍ではありませんか。奇遇ですね。」
 不意に降って湧いた、皮肉めかした高い声に、ジークムントはゆっくりと立ち上がり、振り返った。くすんだ金の髪と、何やら含んだ琥珀の瞳が月明かりに浮かび上がる。
 寄寓も何も、こんな時間に帝都の外にまで出歩く用などあるはずもない。ましてや、墓地になど。わざわざ後をつけていたのは明らかだった。
「何かご用でも? リヒタ−将軍。貴殿こそまさか、このような夜更けに散歩でもあるまい。」
 ジークムントは煩わしさの滲む声で、愛想程度に返事を返した。どうもこの男は虫が好かない。
 3年前に先代から第二将軍の地位を継いだこの男は、妾腹の子であるとのもっぱらの噂だった。彼の母親は身分の低い女で、帝都を出て子を産み育てていたが、正妻との間に男児のできなかった先代が、彼を養子として引き取り、家督を継がせたというのだ。
 噂に疎いジークムントの耳に入ってくるぐらいだから、このことは帝都中に知れ渡っていることは間違いないだろう。そのせいか、彼の言動からの端々からは、権力への執着と、上級層に生まれた人間への羨望にも似た憎悪、下級層の人間への侮辱の混じった嫌悪が垣間見える。そして、敵国の出ながら皇帝と大将軍に認められ、地位を築いた自分に対しては、憎しみとも嫉妬ともつかないじっとりとした視線を向けていることに、ジークムントも気付いていた。
 まさに今も、そのような光を瞳に浮かべ、リヒターはじっとジークムントを見詰めていた。
「こんな夜更けにどこに行かれるのかと思いきや、まさか罪人の弔いとは。」
 くつくつと喉の奥で笑みをもらし、リヒターはゆっくりと目を細めた。まるで、面白くてたまらない玩具を見つけた、とでも言わんばかりに。
「故人の人柄に武人としての敬意を払ったまでのこと。」
 ジークムントは無表情のまま、無愛想に短く返した。この男相手に無駄に言葉を連ねる気など、毛ほどもない。
「ほぅ……。あなたのしたことは罪人をかばうことにもなりかねませんがねぇ……。アドルフ・アルトナーは、スラムの人間をつかって皇帝陛下を暗殺し、陛下の指輪を盗み出させたと聞いていますんでね。」
 じっとりとジークムントを見据えたまま、まとわりつくような口調でリヒターは続けた。
「それでスラムを焼き払ったと? さぞかし楽しかったろうな。」
 ジークムントは、リヒターの蛇のような視線を避け、鼻白んだ言葉を返した。
「帝都の掃除ができてちょうど良かったでしょう? それに第一、皇太子殿下のご命令ですから。」
「嘘をつけ。」
 ぬけぬけと答えたリヒターは、不意に叩き付けられた視線に、一瞬身を震わせた。まっすぐに向けられた灰色の隻眼は、すべてお前の謀略だろう、と無言で物語っていた。
 確かにこれは、ゲルハルトの死の迫った数日前、彼が持っているはずの皇位継承者に譲られるべき指環が見当たらない、とセレスが言っているのを小耳にはさんだリヒターが、とっさに描いたシナリオだった。
 皇位を狙ったアルトナーが、これを盗み出し、皇帝を暗殺したことにすれば、反逆者として難無く彼を失脚させられる。アルトナーが自分の使用人として、身分や人種を問わずに人を雇っていることを考えれば、彼がスラムの人間と関わりがあっても、不自然ではない。
 カッセーレの血を引くセレスが、エスラントと繋がりの深いアルトナーを疎んじているのも、承知の上だった。どこか境遇が似ているせいか、リヒターにとってはセレスは取り入りやすいところがあった。この皇太子の口から「好きにするがいい」の言葉を引き出すのも、さして難しいことではなかった。邪魔なアルトナーにこれ以上ない屈辱を負わせて消し去るせっかくの機会だったのに。
 ジークムントの一瞥に思わず固唾を飲んで、それでもすぐに自分の不覚に気付いたリヒターは、細い顔を歪め、両の瞳に、激しい憎悪の炎を灯した。
「……どっちにしろ、皇太子の承認は得ているんだ。そういうことにしておけば、楽にあの男を刑台に送ってやれたものを。セレス皇太子だって楽に皇位につける、貴様だってそんな傷を負わずに済んだろうよ。」
 苦々しく吐き捨て、リヒターはジークムントの右目を覆った包帯を指した。まだそこに残る血の染みが、月明かりに照らされて赤く濡れている。
「……。」
 無言のままのジークムントの左目が、ますます険を帯びるのを見て取り、リヒターは小さく舌打ちをした。とうてい実力勝負でかなう相手ではないことは、重々承知だ。
「ふん……。あなたのおかげで、大将軍閣下は訓練中の事故死。皇帝陛下暗殺疑惑はなかったことに……。まあ、いいでしょう。」
 じっとりとした視線を再びジークムントへと向けると、リヒターはさっさと踵を返した。
 その後ろ姿が完全に消えてから、ジークムントは帝都の城門へと歩いた。黒々と投げられた城壁の影に足を踏み入れる。ふと、視界の隅で何か動くものが見えたような気がして、彼は足を止めた。左目を細めて、闇を見透かすと、どうやらそれは地に伏せた人影のようだった。

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