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 王女の結婚とはいえ、相手が敵国の皇帝とあってはそうそう豪華にするわけにはいかなかったのだろう。嫁入り道具も、花嫁に従う従者も、相手国への貢ぎ物という性格を持つ。あまりに多くを持たせれば、ともすれば相手に屈服したと見られかねない。アイーダに付き添ったのは、数人の女官の他には従者は少年が1人だけだった。
 我が子であってもおかしくない程に年若い彼に、ことさら目がいったのは、アルトナー自身、リオルに身重の妻をおいてきていたからかもしれない。
 下級貴族の家に生まれたというその少年は、年を聞けば15と答えた。聡明そうな顔だちをしていたが、線の細さを残したその体躯には、腰に提げた幅広の剣が痛々しい程に大きく見えた。
 が、リオルに向う船に一歩足を踏み入れた途端、彼の表情は一変した。気丈なアイーダがきつく唇を噛んで俯き、侍女たちが啜り泣く中、1人だけ真直ぐ前を向いていた彼の顔からは、少年の面差しが見事に消え、完全に一人前の武人のそれになっていた。
 リオルに着くと、彼は雑用から何から、文句一つ言うことなく、黙々とよく働いた。アイーダに双子が生まれてからは幼い皇子皇女の面倒をよく見たし、いくさの時には、いつもためらうことなく前線に立った。それはまるで、冷たい目に囲まれた皇宮の中で自分とアイーダの地位を保つためには、そうするしかないと心得ているようだった。
 後がないという思いが常にあったのだろう、いくさに出れば、目覚ましい功績をあげる事も珍しくなかったが、それに目を留めた皇帝ゲルハルトが褒美を与えようとする度、彼はそれを静かに辞退したのだった。
「我が主君はアイーダさまなれば、そのご夫君に尽すのは当然でございましょう」と。
 最初はこの態度に、不遜だと憤る者も少なくなかった。けれど、アルトナーもゲルハルトも、この堂々とした様子と忠誠心に、むしろ好感を抱き、彼への信頼を高めていった。
 が、アイーダとゲルハルトとの結婚から3年、徐々にではあるがアイーダもジークムントも皇宮に馴染み始めたように見えていたが、隣国カッセーレとの関係は一気に破綻を迎えることになった。
 リオル国内でも反発の強かったこの結婚であるが、カッセーレ国内での反発はそれすら足元にも及ばない程強いものだった。ゲルハルトが最初に、自分の妃に末の王女を、と要求したことが知れ渡ると、それはさらに手をつけられないものとなった。
 ゲルハルトは知らなかったのだが、カッセーレでは男女を問わず末子が家督を相続する習慣があり、もちろん王家とても例外ではない。そして、不幸なことに当時の王家の末子は女子だった。政略結婚の優位は長子から、と考えて譲歩したつもりのゲルハルトの要求は、カッセーレにしてみれば、時期国王の引き渡し、すなわち降伏勧告に等しかったのだ。
 思慮深い国王は、それをリオル側の無知によるものであり、悪意はないと判断したのだが、好戦的なところのある民衆は、そうはいかなかった。ゲルハルトの要求を突っぱねなかった王を裏切り者とする反王運動が各地に広まり、ついには政変が生じて強硬派が政権を取り、王家に連なる者を処刑するという事態となった。
 この余波はカッセーレ国内に留まらなかった。新政権はリオルに、罪人の家系の者としてアイーダの身柄の引き渡しを要求したが、ゲルハルトはこれを拒否。カッセーレはすぐさま軍隊を送り込み、ついにはカッセーレとリオルのいくさとなった。
 この時もジークムントは前線に立ち、自らの故国を相手に迷うことなく刃を振るったばかりか、当時石造りの建造物の多いリオルでは普及していなかった火矢の導入を進言した。
 政変直後でまとまっていないカッセーレの指揮系統の乱れをついて陣を突き崩し、上陸していた兵を大河まで押し返しただけでなく、船に乗り込んで河岸を離れたところを見計らい、いっせいに火矢を打ち込ませたのだ。事前にカッセーレの船の構造を知らされた射手たちは、確実に次々と船を炎上させていった。
 こうして船の大半を沈められたカッセ−レ水軍は壊滅状態に追い込まれ、リオルに出兵するだけの戦力を失った。以後、16年にわたってカッセーレとのいくさは起こっておらず、この時の徹底した戦いぶりから、ジークムントはある種の畏怖を込めて「鬼神」「軍神」などの二つ名を贈られることとなった。
 このいくさの功績を称え、ゲルハルトが呼び出した時も、ジークムントはやはり例の台詞を繰り返した。「我が主君はアイーダ様なれば、そのご夫君に作るのは当然のことでございましょう」と。
 相変わらずの彼に周囲からは苦笑がもれたが、この時ばかりは、ゲルハルトもアルトナーも笑わなかった。一見何の要求もしていないように見えたこの青年の真意を、初めて理解したのだ。
 ちょうど当時、エスラントの王女テレーゼを皇妃に迎えるという話が現実味を帯びてきていた。彼は、実質王女としての地位を失ったアイーダの地位の保全を、否、おそらくは彼女を皇后として遇することを要求していたのだ。
 平然として繰り返されていた言葉は、彼の遠慮でも皮肉でも、また謙遜でもなく、カッセーレの人間としての矜持に他ならなかったのである。皇帝としても、それに気付いた以上、彼の働きに応えないわけにはいかない。さすがに長年の慣例を破ってアイーダを皇后につけることには無理があったし、ジークムントもそれを承知の上で、このような言い回しをしていたのだろう。
 この大胆さと思慮深さに、アルトナーは感心を通り越して呆れ果てた。そこで、当時は自分の管轄にあった傭兵部隊を正式に軍隊として編成し、その司令官として第三将軍の職を設けてそれにジークムントを任じることを皇帝に進言し、ゲルハルトもこれを聞き入れた。
 エスラントの規約上、アイーダを皇后にできない代わりに、ジークムントを彼女の配下としたままで将軍職に就けることによって、形式上のこととはいえ、アイーダに一軍を預けて彼女への信頼と誠意を示してその地位を保証しようとしたのだ。
 この時、ジークムントは18。異例の若さでの将軍就任であったが、個性の強い集団を見事にまとめあげ、立派にその職を勤めている。もはや誰も、彼の実力を認めないわけにはいかなかった。

 ――全く、大した男だ。
 アルトナーは再び溜息をついた。
「私はお前みたいな息子が欲しかった。お前が娘婿にでもなってくれたら……と思っていたぐらいさ。」
「……。」
 アルトナーの独り言めいた呟きにも、ジークムントは表情を変えなかった。覚悟に揺るぎはないと悟り、アルトナーは軽く目を瞑る。初めてリオル行きの船に乗った時、故国が相手のいくさに出陣した時、そして皇帝の面前でアイーダの身分保証を要求した時の、彼の表情が目に浮ぶ。
 その突出した素質だけではない。必要な場面で周囲が驚く程の大きな覚悟をしてしまえる危うさと潔さがあればこそ、この男を手元に置いておきたかったのだ。
「……まあ、父親へ引導を渡すのは息子、と相場が決まっているようだしな。」
 皇帝の死とからませた、その裏の意味に気付いたのだろう。ジークムントの片眉がほんの少しだけ動いた。
「……逆もまた真、と申しましょう。」
「なるほど。」
 彼の返事に、アルトナーはほんのわずかの苦笑を漏らした。
「手加減は一切しないぞ。」
「感謝致します。」
「大した自信だな。」
 よく馴染んだ剣の柄に手を伸ばしながら、アルトナーは今度は明らかに苦笑を浮かべた。年をとったとは言え、腕は決してなまってはいない。
「……私には死ねない理由があります。」
 ジークムントもまた、軽く目を伏せて自らの剣の柄へと手を伸ばした。常人の持つものより2回りは大きいそれも、もう手に余る印象を与えない。
 2つの鞘鳴りの後、地下には完全な静寂が張詰めた。

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