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1、金の落胤(らくいん)

「本当、天下の大将軍さまでもやっぱりご自分の娘には弱いのね。旦那さまときたら、お嬢さまのお転婆にすっかりお手上げなんですもの。」
 帝都リオルの片隅。怪しげな瓶詰めやら何やらが壁一杯に積まれた小さな店の一角で、使用人らしき風情の女が、店主を相手に他愛のない話を繰り広げていた。
「お嬢さまもいい人でもできたら少しはおしとやかになられるのかしら……。そうねぇ、ハウゼン将軍なんかお似合いだわ。カッセーレの人だけど礼儀正しいし、不愛想だけどそれが頼もしいし、旦那さまの覚えもいいみたいだし。近頃お嬢さまに言い寄っているリヒターなんかよりよっぽどいいわ。何よりお嬢さまだってまんざらじゃないはずよ、絶対。あれはお互いに気があるわ。」
「そうなんですかぁ。」
 店主は壁際の瓶をいくつか取り出したり直したりしながら、のんびりと相槌を打った。伸ばしっぱなしの前髪が顔にかかった、あか抜けない風貌の青年だが、せいぜい20歳そこそこにしか見えない童顔のせいか、それともいつも絶やさない笑みのせいか、相手に親しみやすい印象を与える。あからさまな世辞を言っても、不思議と嫌みがない。女のおしゃべりがとまらないのも、彼女が話好きだからというだけではないはずだ。
「ええ、私の目に狂いはないわ。絶対にお似合いよ、あの2人。」
 勢い込んだ女は、きっぱりと断言した。と、少し顔を緩めて、ただ、生まれてくる子が金髪じゃなくなっちゃうかもしれないのが残念だけど、と溜息まじりに付け足す。
「へえぇ……。さすがはローザさん、慧眼をお持ちですねぇ。」
 青年が心底感心した、と言わんばかりに細い目を丸くすると、女は機嫌よく笑う。それを見て青年も微笑み返し、大瓶の中身を小瓶へと詰め替える。
「ええと、いつもの傷薬でいいんですよね、はいどうぞ。」
「ありがとう、助かるわ。」
 女は店主の差し出した瓶を受け取ると、にっこりと微笑んだ。そしてまた、勢い良く喋りはじめる。
「本当、お嬢さまときたら、エスラントの国王陛下のお見舞いに行かれるのも、森の中を早駆けされるんだもの、嫁入り前だというのにすぐに擦り傷やら切り傷やらこさえてしまわれて……。でもこれ、本当によく効くのよ、お嬢さまも旦那さまもおっしゃってるけれど。」
「それは光栄です。」
 にこりと青年は苦笑まじりの笑みを浮かべた。女は満足そうに頷くと、きらりと瞳を輝かせる。
「ねえ、あなたなら皇帝陛下やエスラントの国王陛下の侍医にでもなれるんじゃないかしら。両陛下ともちょうど今、新しい侍医を探していらっしゃるようだし、大将軍のお墨付だってあるんだから。」
「皇帝陛下が新しい侍医を? それはまたどうしてですか?」
 女の言葉に、ふと青年の笑みが消えた。真顔になって、女の顔を見詰め直す。
 無理もない。リオルの宗主国でもある隣国、エスラントの老王の体調が思わしくないのはよく知られているが、リオルの現皇帝ゲルハルトは、まだ40半ば。確かに若いと呼べる歳ではないが、壮健で鳴らした皇帝がそう衰えるとも思えないのだろう。
「それがね、ここだけの話なんだけど。」
 女は急にわざとらしく声をひそめると、口の横に掌を立て、きょろきょろと辺りを伺うしぐさをした。
「実は皇帝陛下、お具合がよくないらしいのよ。ほら、最近民の前にも姿をお見せにならないじゃない。ここ2年くらいで急に太ってしまわれて、お顔の色もよくないんだって。髪も抜けてしまわれたという話も聞いたわ。何でも、今は一日の半分くらいは臥せってらっしゃるそうよ。」
「……そうなんですか……。」
 青年は神妙な顔をして、何やら考え込んでいる様子だった。彼の口から出た言葉はかろうじて形にはなったものの、完全に上の空、といった風情で宙に溶けていく。
「あら、ちょっとはその気になったのかしら。よければ帰って旦那さまに口添えしておくわよ。そうよね、あなたみたいな人がこんな居住区の隅っこなんかでくすぶっているのはもったいないわ。」
 元来が世話好きなのだろう。にわかに女の目が光を帯びるのを見て、青年は慌てて首を振った。
「いえ、元々僕は医師ではありませんから……。薬草学は、ほんのついでにかじった程度なんです。陛下の侍医なんてとんでもありませんよ。」
「そうかしら……。残念だわ。」
 大げさに肩を落としてみせた女に、青年は再び軽い苦笑いを向けた。ふと、その瞳が女の背後、店の入り口付近を見て、ほんのわずか女に気付かれない程度に細められる。
「ああ、そうだ。これをおまけでローザさんに。水仕事の前後によく手にすり込んで下さい。あかぎれによく効くんです、この薬。」
 青年は、さきほどの棚から平たい瓶を出すと、女に渡した。
「あら、ありがとう。」
 女は思いがけない贈り物に、ぱっと顔を輝かせた。
「それではお嬢さまにもよろしくお伝え下さい。また、いらして下さいね。」
 にっこりと微笑んだままで青年が話を打ち切ると、女もまた、機嫌良く笑った。
「ええ、もちろん、どうもありがとう。」
 先程の平たい瓶を軽く掲げてみせ、女は店を出た。一度店主を振り返り、上機嫌で帰って行く。
 その後ろ姿を伺うように、1人の少年が、入り口からひょっこりと顔を覗かせる。精悍さが漂い始めた年頃ながら、大きな茶色の瞳に愛嬌のある少年だった。
「どうぞ入って下さい、ルッツ。お待たせしてしまったようですね。ごめんなさい。」
「いやいや、あんまりスラムの人間が出入りしてるのを見られるのもよくないだろうし。今の客、どっかの貴族階級の家の使用人だろ?」
 青年の言葉を待つまでもなく、来客のいないことを確認した長身の少年は、遠慮なく店の中へと足を踏み入れていた。軽く頭をかいて、からりと笑う。
「お気づかいありがとうございます。あら、エルンスト王子とエマも一緒なのですね。」
 ルッツの軽口ににこりと微笑み返した青年は、後から入って来た少年と少女に気付いて目を細めた。
「グレイグまで僕のことを王子とか呼ぶんだ。エマだけだよ、僕をちゃんと名前で呼んでくれるのは。」
 ルッツより一回りほど小さい金髪の少年は、軽く頬を膨らませた。その後ろで、栗色の髪をした少女が、こんにちは、と小さな声で控えめな挨拶をする。
「こんにちは、ようこそいらっしゃいましたね、エマ。……しかたないじゃないですか、王子。あなたは金髪ですし、目も青いのですから。」
 内気そうな少女に優しく頷いてから、青年は金髪の少年に向い、微笑んだまま悪びれもせずにさらりと言ってのけた。
 金髪碧眼はエスラント王族純血の証。まことしやかにそうささやかれてはいるが、長い歴史の中で混血が進み、実際には金髪の人間はそうまれだというわけではない。金髪を売りにする娼婦さえいるくらいだ。
 それでも、エルンストほどの純粋な金髪と透き通るようなブルーの瞳はやはり珍しい。「スラムに忘れられた王子が暮らしている」そんな夢物語を楽しむかのように、そしてわずかばかりの羨望をこめて、下層の人々は彼を「王子」と呼ぶのだった。
 当然のことながら、それが本人にはあまり気に入らないらしい。エルンストの憮然とした顔を見て、青年、グレイグはくすりと小さな笑みを零した。
   

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