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プロローグ〜春の妖精〜

 その夢の中では、彼はいつも幼い子どもだった。
 春の半ばだろうか。穏やかな風に、若草がさやさやとそよぐ音がする。柔らかな暖かい陽光が降り注ぐ中、彼はいつも独りぽつんと立っているのだった。否、何が哀しいのか、独り泣いているのだった。
 さんざめくような明るい光の中で、ただ独り。
 何が哀しいのかもわからぬままに、後から後から流れ出る温いしずくを小さな手の甲で拭いながら、ただただ止まらぬ嗚咽をあげている。
「泣かないで。」
 ふわり、と。
 不意に、小さな頭に、少しひんやりとした軽い感覚が振ってきて、彼は一瞬泣くのを忘れて顔をあげる。
「こんにちは。」
 鈴が転がるような声でそう言って、目の前に立った見知らぬ少女はにっこりと微笑んだ。細かいソバージュのかかった長い髪が、背にした太陽に透けてプラチナブロンドに輝く。彼と視線が合うと、少女は愛らしい緑色の瞳を惜し気もなく細めた。
 少し日に焼けたような柔らかい頬、ほっそりとした身体を包む、簡素な白いドレス。
 春の陽だまりの中で佇む少女は夢のようにふわふわと柔らかく、羽が生えているかのように軽やかで、まるで妖精のようだった。
 ぱちくりと目を瞬かせる彼に、少女はふわりと抱きよった。そよ風に吹かれた長い髪が、柔らかな衣服の裾が、さらさらと優しい音をたてる。
 泣き濡れた彼の頬に、柔らかな少女の唇がそっと触れる。
「……。」
 ふうわりと鼻をくすぐる甘い匂いに気をとられ、耳もとで囁かれたはずの少女の言葉が、届かない。
 すっと身を離し、少女は再び微笑むと、スカートの裾をふわりと翻して陽だまりの中へと溶けていった。
 また独り、後に残された彼は、ただただ立ち尽くして、その後ろ姿を見送るより術はなかった。呆然としたまま、小さな手で、口付けの跡にそっと触れる。
 彼に残されたのは、柔らかな感触とほのかな甘い匂い。そして、頭にかぶされた、花の冠……。

 また、あの夢を見た。
 彼は、半分だけ身体を起こし、小さく息をついた。甘いような、切ないような感触が、胸にぼんやりと残る。
 昔から、何度も見る夢。あれは、ただの儚い淡い夢なのか、それとも忘れ去られた古い記憶なのか。
 わずかばかりの感傷にひたり、彼はしばしの後にそれを振り払う。
 改めて顔をあげ、窓から差し込む光に目を細めた。
 今日も、朝の日射しが眩しい。  

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