雪うさぎ


 雪うさぎというものはやはり食べるものだったらしい。
 平らな箱に行儀よく並べられたそれを、子どもたちは何のためらいもなくつまみあげる。小さな指につままれた雪うさぎたちは、柔らかなマシュマロの体を凹ませて、素っ気無く作られた顔を歪ませる。
 その滑稽な表情に無邪気な笑い声をたてて、子どもたちはかぷりとそれにかぶりつき、今度はとろけるような笑みを浮かべる。どうやら白いマシュマロの中にはとろりとした甘酸っぱいイチゴのソースが詰まっているらしい。
 先程外から帰ってきたばかりの妻は、菓子箱の入っていた買い物袋を畳みながら、「がっつくのはやめなさい」と呆れたように笑う。
 けれども私は、子どもたちの様子を眺めながら、小さな感傷にとらわれずにはおられなかった。
 きっとこの子たちは本来の雪うさぎなど知らないのだろう。
 3センチ雪が積れば電車が止まるこの都会で、ここ数年、この子たちが物心ついてからまともに雪など降っていないのだから、知らなくても無理はない。

 それでも私が子どもの頃は、年に数度は街がうっすらと雪化粧をしたものだった。初雪が降れば、都会に育った子どもたちの例にもれず、私も近所の子どもたちも、見慣れたはずの街のよそ行きの表情に歓声を上げ、白い冷たい雪へと手を伸ばした。
 雪を見ると丸めて形を作りたくなるのは、子どもの、否、人の性というやつなのだろうか。小さな雪の塊を手の中で転がしながら夢想したのはバケツの帽子をかぶった白い雪だるまだったが、何分雪の量が全然足りないのは明らかで、無理をして作ったところで泥だるまになるのが関の山。いつも作っていたのは小さな雪うさぎだった。
 塀の上や、外に止まっていた車の屋根の上に薄く積った雪。植え込みの葉にわずかに乗った塊。汚れのない真っ白な雪を背伸びして大事に集め、少し先細りの卵型にふんわりと形作る。庭とも呼べないような狭いスペースに忘れられたように植わっていた南天の木も、この時ばかりは神の授けもののように貴重なものに 見えた。その真っ赤な実と、少し丸みを帯びた細長い葉を大事に摘んで、そっと小さな雪の塊に命を吹き込む。
 その瞬間の緊張感、神妙な気持ち、ささやかな魔法のような時間。
 それが昼の太陽の光にすぐに溶けてなくなってしまうとわかっているからこそ、小さな小さな雪うさぎはふわふわとした夢の精のように思えた。
 雪うさぎを作る機会は決して多くはなかったが、それでもある時、ふと子ども心にある強い誘惑を感じたのを覚えている。この柔らかそうな夢の精をどうしても口にしてみたくなったのだ。粋を集めたような白い肌に、いびつながらも卵型の形。私が夢想した味は、この上なく甘く、幸せな味だった。
 ほとんど誘われるように、掌に載せたそれに私は口づけていた。冷たい雪の感触が唇に触れ、舌に触れたその時。
「ダメじゃない!」
 突然降った声に、私は思わずびくりと身体を震わせた。はずみでうさぎに顔を突っ込んでしまい、それはあっけなく形を崩した。
「うさぎ食べちゃ、かわいそうじゃない!」
 両手を腰に当て、怒気も高く私を睨み付けていたのは、隣に住んでいた幼馴染みの女の子だった。気の強い子で、時々彼女に泣かされたりもしたが、泣き虫だった私をよくかばってもくれ、困った時にはいつも引っ張ってくれた、姉のような存在だった。
 もはや彼女の名前も覚えていないが、この時の彼女の顔はよく覚えている。
 怒りと寒さに小さな頬は紅潮して、私をまっすぐ睨んだ黒い瞳は細かい雪の結晶を映したようにキラキラと輝いていた。
 見慣れていたはずの顔なのに、この時はなぜか彼女の強い視線に、胸を直接揺さぶられたように感じて、一瞬息がつまった。叱られているとわかっているのに、後ろめたさや怖さとは全く違う感情に囚われて、私は彼女の顔に見とれずにはいられなかった。
 もっとも、その時にはその思いを何と呼ぶのかなど知るはずもなかったのだが。
 どう反応して良いかわからず、言葉を失っておろおろとした私に、彼女は幼いながらも大人びたしぐさで溜息をついた。
「あーあ、壊しちゃって……。かわいそうに……。すぐ直してあげるね。」
 そう言うと、私の手から、ただの雪の塊と化したうさぎをとり、手際よく形を整え、目と耳を付け直して私の手に戻してくれた。先程より一回り小さく、けれど形の整った雪うさぎは、くりんとした赤い目をまっすぐに私に向けた。
「はい、できた。かわいがってあげてね。」
 私の手の上のうさぎの額を小さな指で撫で、お姉さんぽい笑みを浮かべると、彼女は他の友達に呼ばれて行ってしまった。

「……ねえ、お父さん、もう1個食べてもいい?」
 珍しく遠慮がちな声に顔を向ければ、箱の中には残り2つになった雪うさぎがちょこんと並んでいた。どうやら子どもたちは、殊勝にも一応私の分を残しておいてくれたらしい。
「いいよ、お前たちで食べなさい。」
 彼らの上目遣いに思わず笑うと、子どもたちはぱっと顔を輝かせて、各々うさぎへと手を伸ばした。
 その様子を見ていると、つい笑みが軽い苦笑に変わってしまう。
 どうしても雪うさぎの形をしたその菓子を口にする気にはなれなかった。私にとって雪うさぎの味というのは、あの時唇に触れた味なのだ。夢見ていた味とはまるで違う、冷たくて、苦くて、ちょっと埃っぽかった、あの味。
 妻も子もいて、この年になって、未だに初恋の味にこだわっているというのも恥ずかしい話だとは思うが、やはり思い出というものは、ほのかに甘く、そして淡い。
「それにしても、外は冷えるわね。雪……、降るかもしれないわね。」
 うさぎを食べ終えてはしゃぐ子どもたちの様子を、呆れたように、それでも目を細めてみていた妻が、ふと呟いた。その言葉に窓の外を見れば、厚い灰色の雲がたちこめている。
 さっきまで箱に並んでいた雪うさぎのせいだろうか。ふとその色に一抹の懐古を覚えたが、笛を鳴らすような木枯らしの音が、それを吹き飛ばすように高く高く響いた。




topへ

 よろしければ簡単な感想を教えて下さい。

この作品は2004年大晦日に行われたお題バトルに提出したお話に若干の修正を加えたものです。
テーマ「初」、お題「口付け」「1」「お使い(買い物)」「白」「笑う」「夢」「太陽」「音」「卵」

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送