月の鎮魂歌


いつもの夢を見て目が覚めた。
少女は闇の中、手を透かす。
じっとりと濡れた肌。熱気のこもった呼気。そして鼻腔の奥に染み付いた血の匂い。
これは夢か現か。暗闇の中、自分の手の色さえも判らない。それが紅く染まっているか否かも。

少女は荒い息をしながら、顔をあげた。
細く差し込む蒼い光に誘われたかのように、静かにベッドを抜け出す。
重い重いドアを開け、ゆっくりと身体を滑り込ませる。

長く続く廊下は、冴えた月影に照らされて、いつもと全く違う表情を浮かべている。
現実と虚構が入れ代わり、現在と過去は入り交じる。
それはすべて、正面に輝く月のせい。

廊下の突き当たり。古ぼけたガラスの向こうで、丸い丸い月が凍っている。
少女はゆっくりと窓に手を伸ばした。重い窓は、少女の細腕を頑として拒む。
不意にその抵抗が弱くなり、冷たい夜風と銀色の月影が少女の身体を包み込む。
少女は、湖面のような瞳で大きな真円の月を眺めていた。
澄んだ光が、その小さな身体に残ったほてりを、言い知れぬ不安を洗い流して行く。
少女は小さな声で古い古い唄を口ずさむ。
もう今は失われた言葉で綴られた、忘れられた、唄。

「月が、好きなの。」
少女は空に向かったままで、詠うように言った。
「そう。」
先程重い窓を開けてやった青年は、短く答えて、ただ少女の横顔を見つめていた。
月の投げる蒼い影を受けて、歳よりはるかに幼く見えるはずの顔には、どこか繊細で神秘的とも呼べる雰囲気が漂っている。
少女が見ているのは、青年の知らない彼女の時間。少女の中に、青年が存在しなかった時。
だから、彼は端正な眉を少しだけ寄せて、ただ彼女を見つめていた。

月の光は透明で、残酷で、綺麗で、冷たい。
そして、優しく優しく少女の心の結び目をほどいていく。
訣別したはずの記憶、封じたはずの過去、忘れたはずの思い。
血に染まった手、髪、服。
「ねぇ……。」
月の光に抗う術を知らず、言葉が内側から少女の唇を割る。
次に朱に染まるなら、自分の血で。
罪深い安堵を求める許されない願いを、銀の光は甘く甘く誘い出そうとする。

「あ……。」
無言で窓を閉めた青年に、少女は驚きとも抗議ともつかない小さな声をあげた。
彼はそれに構わず、冷えきった小さな身体をふわりと抱き寄せる。
「月が好きなのはいいが、見るだけにしとけよ。」
青年は努めて無感情にそう言うと、名残惜しそうに窓を見つめる少女を振り向かせた。そして、その濡れた両頬を掌でぬぐう。
少女は大きな瞳を二、三度瞬かせて、じっと青年の端正な顔を見つめた。
そして、不意に無邪気な笑みを浮かべた。
「愛してるよ?」
あまりに唐突な少女の言葉に、それでも青年は小さく微笑んで、二度と血に濡れることのない小さな手に、自分の手を添える。
「オレもだよ。」
青年の答えを聞いて、少女はその笑みをはにかんだような、安心したようなものへと変える。
「……子守唄?珍しいな。」
ふと、先程少女が歌っていた旋律を思い出して、青年は何気なく尋ねた。
少女は、一瞬目を丸くして、そして軽く目を伏せて、柔らかく切なげに微笑んだ。
「子守唄じゃ、ないの。あれは……レクイエムなの。過去のあたしへ、の。」
それだけ言うと、青年を見上げてにこにこと笑う。限り無く無邪気で、それでいてそれ以上の詮索を拒む笑顔。
「ふぅん。」
青年は、気のないような返事をすると、唐突に少女を抱き上げた。
「じゃあ、そろそろ戻りましょうか、姫。……こんなところにいたら風邪をひくぞ。」
いつもの彼のわざとらしい物言いに、少女はいつものように頬を染めて青年の胸元に顔を埋めた。
「ねぇ……。」
「ん?」
「……なんでも、ないの。」
−−『愛してる』って別れの言葉じゃないよね?遺言でも、死刑宣告でも、ないんだよね……。
少女が首を左右に振って再び顔を埋めてしまったので、青年は少女の呟きは聞こえなかったことにした。振り返れば、薄く煙ったガラスの向こうに、傾きかけた月が独り未練がましい顔をしていた。
青年は、わずかに唇の端に複雑な笑みを浮かべて、凍った月に背を向けた。





あとがき
えと、400thHIT記念にたまきさまにリク頂きました。ありがとうございます。
ごめんなさい、微妙に内輪ネタな上に、微妙に未回収ネタです(汗)
でもまた「彼」貸して下さいね♪大好きなんです♪(ずうずうしい)
ああ、それはともかく「わけわかんねぇ」と思われた皆様、本当にごめんなさいです(ぺこり)

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