無銘の名匠


 がらんがらんとカウベルが鳴った。しかし、来客を告げるその音に顔をあげることもなく、店主はカウンターの奥の揺りいすに身を預けたままだった。
 音に気付かなかったわけではない。けれど、用があるなら、客が声をかけてくるだろう。それに、ちょっと品を見に来ただけの客なら、いちいち店主に声をかけられたら、煩わしくて仕方ないではないか。
 道楽でこの店をやっていると自認する彼は、そう怠惰を決め込むことにして、昨日手に入れたばかりのランプを磨く手を止めなかった。
 ふと突き刺さるような視線を感じて、ようやく店主は手を止めた。ずいぶんと白いもののまじった頭をかきながら、わずかに訝る。アンティークショップに来て、陳列品に目もくれずに一目散に店主のところに来る客も珍しいと言えるだろう。
「いらっしゃいませ。」
 道楽で店を構えることと、客をぞんざいに扱うこととは違う。店主は愛想のよい笑みを浮かべてから、顔を上げた。
 カウンターの向こうに立っていたのは、見知らぬ女だった。歳の頃は30前後だろうか。長い栗色の髪で目の大きな、本来なら愛らしい女性なのだろう。しかし、今の彼女は頬骨が浮き出て、苛立たしげな光を浮かべた瞳も、薄く引き結んだ唇も、落ち着きなく揺れている。目元にはくまが刻まれ、隠しきれない焦燥にやつれきっているように見えた。
「あたし……、癒してほしいんです。」
 睨むように店主を見下ろし、女はせっぱつまった口調でそれだけを口にした。
「癒し?」
「ここに来ると癒してくれるって友だちから聞きました。もう、あたし……。」
 早口でせっつく女に、店主は困ったような笑みを浮かべた。
「ご覧の通り、私はただの中年男です。天使でも魔法使いでもありません。私に、あなたを癒すことなんてできませんよ。」
 店主が静かにそう告げると、女の細い眉がぴくりと跳ねた。血の毛の引いた唇も、わずかに震える。
「ですが……。」
 女が甲高い怒鳴り声をあげる前に、店主は素早く付け足した。
「せっかくいらしたのですから、お茶の一杯くらい飲んでいかれてはいかがですか?」
「……。」
 明らかに気勢を削がれて、女はやや戸惑った顔をした。店主は柔らかく微笑んで彼女の後ろのテーブルを手で示した。女は、自分のすぐ側に置かれていたテーブルに今初めて気付いたようで、きまりの悪い顔をする。
「どうぞ。」
 リーフを入れたポットに湯を注ぎながら、店主が再度勧めると、彼女はようやく居心地悪そうに椅子に腰を下ろした。落ち着かないのだろう、樫のテーブルの上で組まれた細い指は、苛立たしげに何度も組み換えられていた。
 紅茶を煮出す時間を計ろうと時計に目を遣って、店主は思わず苦笑を浮かべた。
 閉店時間をとっくに過ぎていた。この地方の夏は日が長い。ショーウインドー越しに落ち着いた街並を見遣ると、古い石畳に柔らかな陽光が跳ねていた。通りの向こうの方を、親子連れが楽しそうに通り過ぎて行く。
 この通り、外がいつまでも明るいので、夕方になっても気付かずにいたらしい。もっとも、それだけランプ磨きに没頭していたということでもあろうが。
 彼はおもむろに立ち上がると、店の扉にかかっている札をCLOSEDに替えた。
「今日のお客さまは、あなたで最後ということですよ。」
 神経質ともとれるような不安げな目を向けた女に、店主は穏やかに微笑む。本当は最初の、でもあるのだが、そこまでは言う必要もないだろう。
 自慢のティーカップを女の前に置いて、店主は丁寧に紅茶を注いだ。ほわりと立ち上った白い湯気と柔らかな香りに、彼女の顔がほんのわずか緩む。カップとお揃いのシュガーポットとミルクポットを添えると、店主は再びカウンターの奥に戻った。じっと湯気を見詰めている女に、一度だけちらりと視線を向けてから、例のランプに手を伸ばす。
 つい昨日手に入れたばかりの年代物のそれは、均整のとれた形がいい味を出していて、彼の好みにぴったりだった。銅でできたシェードは、磨けば磨く程柔らかな銅(あかがね)色が独特の風合いを醸し出す。その温かな色合いを見ていると、そのまま何時間でも過ごせてしまう。
「……。」
 濃厚な沈黙が張り詰める中、不意にかちゃり、と陶器の触れあう小さな音が響いた。
「……主人を、亡くしたんです。」
 未だ揺れる琥珀の水面を睨んだままで、女はおもむろにそれだけを口にした。
「……。」
 店主は無言のまま手を止めて、視線だけを女の横顔に注いだ。
 再び、重い沈黙が舞い降りる。
「悪い夢でも見てるみたい……。苛々して……、どうしようもなく苦しくて……。」
 居座ろうとした静寂を追い払おうとするかのように、乾いた言葉が紡がれる。それは、ふわふわと逃げまどう小さな羽を追っているかのように、宙を上滑りしていった。再びきつく結ばれた女の唇が、傍目にそれと判る程に震える。
「こんなに辛いなら……。いっそ逢わなければよかった。できることなら、全て忘れてしまい……。」
 絞り出すようにそう言って、女は不意に店主の方に顔を向けた。どこか咎めるかのような、強い視線で真直ぐに男を射抜く。
「酷い女でしょ? 感謝とか追悼とかロクにしないで、『逢わなきゃよかった』とか『忘れてしまいたい』とか、自分の辛さばっかりで。」
「そう……なんですかね。」
 女の強い口調に、店主は曖昧に答えると、軽く首を傾げた。手許の抽き出しを開け、中をそっと探る。それを見て女は、自嘲まじりの笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね。いい迷惑よね。なんとかしてもらえるかもしれないって噂で聞いたら、居ても立ってもいられなくなって押し掛けてしまって……どうかしちゃってるわね、あたし。」
 女は瞳を伏せて、すっかり湯気の上がらなくなった紅茶を口に含んだ。カップをソーサーに戻し、深い溜息をつく。そんな彼女の前に、店主はそっと蒼い塊を差し出した。
「……綺麗ね。」
 大粒のスターサファイアのペンダントトップに目を落として、女は小さく呟いた。
「とある職人が、亡くなった妻のために作ったものだと伝わっています。」
「そう……。こんなに綺麗なのを作れるなんて……、それだけ大切に想っていたんでしょうね。」
 自分とは違う。そう言いたげな女の唇に、再び自嘲めいた笑みが浮ぶ。
「でも、亡くなった奥さんは、とても赤の似合う方で、ご自身もこよなく赤を愛されたようです。生前は、青い色のものを身につけたことなどなかったそうです。」
「え……。」
 女は目を見開き、改めて、といった風情でしげしげとペンダントを見詰めた。
「彼は、どんな気持ちでこれを作ったんでしょうね。」
 遠い空を見詰めるような眼差しで、ぽつり、と店主は独り言めいた呟きを漏らした。
「復讐、かしら。自分を置いて先に死んでしまった奥さんへの。」
 女は、くすりと悪戯っぽい笑みを零す。
「どうして自分1人を遺して逝ってしまったんだ、って。言葉も何も届かないようなところに。まだ、言いたいことも、一緒にやりたいこともたくさん、たくさんあったのに。『こんな似合わないもの作って、どういうつもり?』っていうような愚痴でもいい、文句でもいいから、言いに来て。……声を聞かせて。……寂しいよ……。」
 いつしか、独り言のような口調になっていた女の両の瞳が濡れていた。女は困ったように声だけで笑い、細い指先で何度も目頭を拭った。
「……ごめんなさい。ありがとう……。でも、来てよかった……。」
 女は小さく呟くと、顔をあげてそっと柔らかく微笑んだ。
「これ……、何という人の作品なんですか?」
「それがね、実はわからないんです。」
 店主は照れたように頭をかいた。
「これに限らず、うちに置いてあるものは全て銘の入ってないものばかりで……。だから、誰が作ったのかわからないものばかりなんですよ。」
「え? でもさっき、亡くなった奥さんのためにって……。」
 女は目をしばたたき、訝しげな顔をする。店主はほんの少しの苦笑を浮かべた。
「銘がなくて、名が忘れられても、想いは伝わっていくものですよ。」
「そう……ですね。」
 女は、含むように呟いて、しばらく青い石を見詰めていた。やがて小さく息をつくと、名残惜しげに立ち上がり、店主に深々と頭を下げた。
「そろそろ失礼しますね……。突然押し掛けてきてごめんなさい。本当に、ありがとうございました。」
「はい、お気をつけて。またのお越しをお待ちしております。」
 店主はにっこりと笑うと、すらりと背の伸びた女の後ろ姿を見送った。
 ショーウインドーの外にも、さすがに夕闇が滲み始めた。薄暗くなってきた店のテーブルの上で、青い石が涼やかに輝いていた。




あとがき
ち〜こさまから4444thヒットの記念に「癒し手」のお題でリクを頂きました。ありがとうございます。そして遅くなって申し訳ありません。
でもよくよく考えれば(考えなくても)「癒し」というのは難しいですね。というのは、「癒す」という言い方をするけれど、実際には「癒される」方に「癒し」を見い出す力がなければ成り立たないという意味で、「癒される」側が主体になる……と私は考えますので。
とかなんとかごちゃごちゃ言った割には、ベタな内容になってしまいました。ご笑納いただければ幸いです。

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