赤い月っていうのはきっと泣いているんだ。
秋も深まってくると、日が落ちるのもずいぶんと早くなる。
線路の向こう、東の空に昇って来た丸い大きな月は赤い色をしていた。
「ほら、今日の月は赤くて大きいよ。なんか不思議じゃない?」
オレは、単純に珍しいとか綺麗だとか思って指差したけれど、彼女はちょっと顔をしかめた。
「赤く見えるのは夕日と一緒。空気中のチリのせいで赤い光だけが目に届くの。地面に近い月が大きく見えるのはただの錯覚。聞いたことない?」
素っ気無い口調でそういうと横を向いてしまう。
らしくないな、とオレが首をひねっている間に電車が来て、彼女はさっさと乗ってしまう。
「ゴメンね。だって血の色みたいで気持ち悪いから……。」
彼女の申し訳なさそうな顔を遮るようにドアが閉まり、四角い箱はゆっくりと揺れて走り出した。
赤い月は、不吉、無気味。
考えてみればそういうことを聞いたことはあるような気はする。
彼女は透明なくらいに繊細で鋭い感受性を持つ子だから、きっと本当に無気味だとか怖いとか、ひょっとしたらそれ以上にないにかを感じたんだろう。
けれど、自他ともに認める鈍さのせいか、自分では赤い月を不吉だとか無気味だとか感じたことはない。
ただ、いつだったか、たぶん塾の夏期講習の国語の授業だったと思うけど、「昔の人は愛しい人にあえない時には血の涙を流した」というようなことを聞いたことがある。
いつもは授業で習ったことなんて、右の耳から左の耳へと消えて行くのに、なぜかそのことだけは記憶に残っている。そしてそれ以来、赤い月を見ると、ああ泣いているんだと、何故かそう感じていた。
ずっとずっと追いかける太陽は地球の反対側で。辛くて誰も見ていないところでこっそりと泣いているんだ。空高く昇ってみんなが見てる時は済ました顔をしているけれど、時々泣いたままで出てくるんだと。
なんだかガラにもなく、そんなことを考えてみたりもしたけれど、まあ口に出したところで笑われるのがオチなので、誰にも言ったことはないけれど。
それはともかく、きっとオレは彼女にとって無神経なことを言ったんだろう。なんだかすっきりとしない気分のまま、オレは反対側のホームに入って来た電車に乗り込んだ。
次の日も、線路の向こうには赤い月が昇った。
口に出してはいけないと思っていても、つい視線がそっちに行きそうになる。いつものように世間話をしていても、きっとオレはどこかおどおどしていたに違いない。そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、彼女は小さく笑った。そして、小さな石をおもむろに取り出してオレの掌に握らせた。
「似てるでしょ?」
唇に浮ぶ笑みを悪戯っぽいものへと変えて、小首をかしげる。
脈絡をつかめぬままに、でもどこかで聞いたことがある台詞だなぁ、などとぼんやりと考えているうちに電車が入って来た。
「水晶のお礼、ずっとしようと思っていたんだけど。」
彼女は軽やかに四角い箱に乗り込むと、ドアの向こうで手を振った。
オレは半ば呆然として、彼女の笑顔を見送った。手の中では、彼女の体温の残った赤い石が、艶やかに柔らかく光っていた。
反対方向へ向かう電車に揺られていると、ポケットの中のケータイがぶるぶると震えてメールの着信を報せた。
開いてみると、差出人は彼女でタイトルは『君の色』となっていた。
『優しくて、元気で、明るくて……他にもいろんな暖かさを塗り込んだ赤。そう思うと、赤い月も綺麗かな……って何書いてるんだろ、あたし。ああ、このメール、読んだらすぐに削除してね。』
ちょっと肩をすくめて舌を出す彼女の顔まで見えて来そうで、口元が自然と弛んでしまう。その「お願い」は聞きたくないなぁ、などと思っているとますます浮んでくる笑みを止められなくなった。
向かいに座ってる人に変なヤツだと思われたかもしれないけれど、そんなことはまあどうでもいい。早速返信のキーを押し、『ありがとう……』と打ち始める。
車窓の向こうに見える丸い月は、ちょうど赤い涙をぬぐったところだった。
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