Lost Time

−−煩い。
耳の奥でざくざくと刻む不愉快な音と、周囲を取り囲む不穏な気配と。
−−さっさと……。
苛立ちと雑音の区別がつかなくなる。ちりちりとこめかみを走る感覚に、反射的に右手の刃を振るう。
−−もっと……。
胸に芽生えかけた焦がれる程の渇望は、顔にかかる温い飛沫が冷えて固まるのと同時に暗い深淵へと消えて行く。
身体が、ひどく重い。なのに勝手に動く。引き裂かれそうな程に。
「寒、い……?」
確認するように、声に出してみる。なのに、手の甲で返り血を拭った頬はひどく熱い。
大樹に背を預ければ、耳の奥の音が、背でも首筋でも唇でもやかましく響く。
見上げれば、枝の間から覗く空は沁みる程に青かった。
地面に引きずり込まれるように、瞳を閉じた。ゆっくりと闇がこの身を呑み込んでいく。
どこか離れたところでぱちぱちと薪の弾ける音がする。
重いまぶたをそっと持ち上げると、灰色の闇。赤く踊る炎の影がゆらゆらと揺れる。細かな白い灯がぼんやりと灯る。背中を支えるのは柔らかい感触……。

「眠れないの?」
 青年が声をかけると、ベッドに上体を起こした少女は、焦点の合わない瞳を彼の方へと向けた。普段は愛らしさを感じさせる緑色の瞳も、紅潮した顔の中で潤んでいては、一種凄惨とも言える魔性のようなものさえ感じさせる。未だ時空を彷徨うかのような少女の唇が、今にも「誰?」と紡ぎそうな錯覚を覚えて、青年は彼女の名前を呼んだ。
「う……ん……。」
 少女は曖昧な声で返事をする。半分まぶたの閉じた瞳がただの寝ぼけ眼になっていることに気付いて青年は少し苦笑を漏らし、立ち上がった。
「………あああ!?」
 それまで自分の手を軽く握っていた青年の手が離れたのを知って、少女はなんとも非難めいた調子で悲痛な声をあげた。ついさっきまで手を握られていたことさえ気付いていなかったくせに。
「タオル、取り替えるだけだよ。」
青年は呆れたように微笑んで、少女の胸元に落ちているタオルを指差した。少女はそれを視線で追って、それでも頬を膨らませながら彼の背中を上目遣いで見上げた。青年は少女の視線に構うことなく、かたくしぼった新しいタオルをその小さな額に乗せた。
「少し熱が上がったな……。ほら、これでもう少しお休み。」
「……やだ。」
 少女はひんやりとした感触に心地よさそうに瞳を細めたけれど、彼の台詞には再び頬を膨らませた。
「やだ。やだやだやだ。」
「……。」
さらに言い募る少女に、青年は渋い顔をした。一瞬唇を噤んで、少女はふいっと横を向いた。
「だって。眠ったらカインがいなくなっちゃうもん。」
「……いなくならないよ。オレはここにいるよ。」
「やぁなの。やだったらやだ。」
 青年が慰めるように言っても、少女は聞きもせずに同じ言葉を繰り返した。ただでさえ病人の我が侭は厄介なのに、彼女は昔から「本気の我が侭」は何が合っても通すものだから手に負えない。彼は困ったような、苛立ちの混じったような溜息をつくと、少女のベッドの端に腰掛けた。少女のかぶっている毛布ごと、その小さな身体を自分の胸元へと抱き寄せた。熱い吐息が彼の首元にかかる。
「これでいい?」
 ややぶっきらぼうな青年の物言いに、少女は驚いたように二三度瞬きをして、小さく頷いた。
「ん……。ごめんね……。」
急にしおらしい口調になって、俯いたまま消えそうな声で囁く。
「構わないよ。」
 声だけは無愛想なままに、青年は少女のこめかみから長い髪をゆっくりと撫でる。細い髪はしっとりと冷たいが、大きく脈打つ肌はひどく熱いのに汗ひとつかいてはいない。これでは眠るのもままならないだろう。
「あのね……。迷い込んでたの……。遠い、遠い昔に……。」
 独り言を口にするかのように、少女は呟いた。
「……知らなかったの。熱出した時に独りでいるのがこんなに……、こんなに……苦しいなんて。」
−−だから……、お願いだから、眠れなんて言わないでね……。
そう言いながら、少女の瞳はゆっくりと閉じて行った。その呼吸も次第に寝息へと変わって行く。
「そうだね……。オレも長いこと忘れていたよ。」
 胸の中で脈を打つ少女の鼓動を数えながら、青年も静かに呟いた。それが聞こえたのか、少女は少しだけ微笑んだ。





あとがき
たまき。さまに1200thHITの記念にリクを頂きました。ありがとうございます。
前からあまり間が空かなかったので、余韻が残るままについ続きを……(汗)
タイトルが思い付かず、適当です。ごめんなさい(涙)。
ネタばらすばらすと言いながらしつこくひきずってしまっています(滝汗)
それはそうと体調を崩した時に看病してもらえるのってすごく贅沢だなぁと最近思うようになりました。これも歳のせいでしょうかね……。

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