窓の外はうっすらと夕闇が差して来ていた。
 私は薄暗い部屋の中でちらちらと光を明滅させる画面に、見るともなく視線を置いていた。
 夕方のニュース番組。別に興味があるわけでも、見たいわけでもない。この時間帯にはこの系統の番組しかやっていないから仕方がないのだ。一人暮らしの部屋は、テレビがついていないとあまりにも寂しすぎるから。
 不意に、画面に見覚えのある景色が映った。人間の目というのは不思議なもので、それまでただ視界に映っているだけのものが、見覚えがあるというそれだけで急に像を結ぶ。
「はい、ここの川はですねぇ……。」
 嬉しそうにマイクを握るリポーターの背景は、薄暮の川岸。隣街の風景だった。
「かつては螢の舞い飛ぶ光景が見られたのです。ですが環境の悪化で螢が住めなくなってしまった……。そこで市民の皆さんが川を護ろうと、ゴミ拾いや合成洗剤の使用廃止などで努力を重ねた結果……。」


『螢っていうのはね、亡くなった人の真心なのよ。』
 思わず座り直していた私の耳に、不意に古い記憶に紛れていた声が蘇る。
 そう、確かに私が子どもの頃、伯母の住んでいた隣街の川には、螢が住んでいた。
『今年も螢が綺麗よ。』
 夏休みに入る頃に伯母から電話がかかってきて、泊まりに行くのが習慣になっていた。河原で螢を捕まえ、暗い部屋の中に放すのだ。
『亡くなった人の魂がね、螢になって大事な人に逢いに来るの。元気?大好きだよ、いつも見守ってるよ、って言いにくるのよ。』
 青臭い、ツンとするほのかな香りが鼻腔をくすぐる中、布団の中で闇の中にぽつりぽつりと浮かぶ夢のような光にみとれている私たちの耳に語られた寝物語。
 哀しく、儚く、切なく揺れる淡い光を眺めているとそれが真実のように思われて、私も従兄弟たちも神妙な顔をして幽かな光の明滅を追っていた。
 今から思えば早くに夫を亡くし、女手一つで三人の男の子を育てていた彼女自身を励ますために語られていたのかもしれなかった。きっと彼女は、この儚い光に、若くして逝った夫の面影を思い起こしていたのだろう。
 翌朝になると、哀しくも優しい魂は、黒い抜け殻になっていた。青臭い残り香が漂う中で、夢の残滓を土に埋めた。その時の伯母の顔は、私たち子どものそれよりずっと悲しそうだった記憶がある。

 きっと、優しい人だったのだと思う。
 私には特に優しい人だった。
『ずっとね、女の子が欲しい欲しいって思っていたのよ。』
 私が泊まりにいくといつも、伯母はそう言って嬉しそうに、哀しそうに微笑んだ。
 きっといろんな苦しさや辛さを抱えた人でもあったのだろう。

 夏が来ても伯母から電話がかかってこなくなったのはいつ頃からだっただろうか。それは螢がいなくなった頃か、私が思春期に差し掛かり、友だちとの関係の方が大事になってきた頃だろうか。
 そうして月日が過ぎる中、いつしか私の記憶の中で、あの儚い夢のような光景が薄くぼやけてきた頃、伯母から電話がかかってきた。
 受話器の向こうから届いたのは、耳を塞ぎたくなるような罵声、叫び声。涙ながらの「説明」は、意味を紡がぬトートロジーの繰り返し。
 久し振りに逢った伯母はすっかり髪も白くなって頬もこけ、くぼんだ目ばかりが爛々と燃えていた。そして私を見て涙を流し、自分の母を罵って辻褄のあわぬ訴えを繰り返した。
 ――キチガイダ。
 言葉を失ってただ立ち尽くした私の側で、そう呟いたのは誰だったか。
 それ以来、両親は私を伯母から遠ざけた。
 その後、何度か伯母から電話はかかっていたようだが、それもいつしかふっつりとなくなった。
 そして、伯母の消息はつかめなくなった。



「二、三年程前から少しずつですが螢が見られるようになったのです。ご覧下さい。」
 明るいリポーターの声と同時に照明が落とされたのか、急に暗くなった画面に、一つ、二つ、小さな黄色い点が浮かび上がった。
 手許のボタンを押すと、ざわめくような歓声も、ほのかな光の点も、プツンという音と共に一筋の光になって消えた。
 ――もしもあの時、自分が何も知らない何もできない「子ども」じゃなかったら。
 あの時以来、幾度も頭の中をよぎった考えをゆっくりと振り払う。
 全ては、儚すぎて、哀しすぎて、そして遅すぎた。何もかもが私の知らぬところに、私の手の届かぬところにあった。
 それでも私はきっと伯母を「見捨てた」のだろう。ひょっとしたら私が見ようとしなかったのしれない、手を伸ばそうとしなかったのかもしれない。
 そんな気持ちと、あの嬉しさと哀しさの入り交じった伯母の微笑みを心の隅に抱えながら、私はこれからも生きていくのだろう。
 鼻腔の奥深くにツンとした幽かな匂いを感じながら、もう二度と還ってくることはない螢のことを想った。




※トートロジー=同義反復

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