夜の森人


 サザン地方も新緑の季節を迎え、森の木々も柔らかな若葉を風にさやさやと揺らす。穏やかな木漏れ日が柔らかな影を投げる中、数人の少年たちが塊になって馬を走らせていた。
 時に馬に鞭をあてて競ったりしている様子からは、仲の良い集団が遊んでいるようにも見える。中でも一際目立つ金髪の少年がリーダーだろうか。少年達は彼の合図で馬から降りると、一際大きな木の根元に輪を作って楽しげに談笑を始めた。
 にこやかに世間話をしながらも、金髪の少年は仲間たちに目配せをした。そして、何気ない風を装って地面に転がる石に手を伸ばす。
 と、不意にそれをつかみ、木の枝間めがけて投げ付ける。それと同時に、仲間たちは素早く身構えた。
 ざわざわと激しく枝が揺れ、大型の鳥のものと思われる重い羽音が響く。軽いうめき声がしたかと思うと、枝間からは小柄な人影が落ちて来る。それは、地面に叩き付けられる寸前、くるりと身を翻すと猫のようにすとんと着地した。少年たちはすかさずその人物を囲むように展開する。
 いつでも動けるように緊張感をみなぎらせた彼等の顔に、一抹の戸惑いが浮かんだ。ゆっくりと立ち上がったその人物は、彼等よりもまだ年若い少女だったのだから。
 身に帯びているのは、とても戦闘用には見えない短剣だけのようだが、身体にぴったりとした動きやすそうな装束をまとって口元を布で覆ったその格好といい、先程の身のこなしといい、どう見てもただの少女とは言いがたかった。
「……何者だ?」
「何をする。」
 用心深い口調で金髪の少年が問いかけるのとほぼ同時に、少女は口元の布を引き降ろし、彼を睨み付けた。
 背中でまとめたまっすぐの闇色の髪に、切れ長の黒い瞳、黄味のかかった肌。露わになった彼女の顔だちは、一見してこの地の人間のそれではないことが明らかだった。先程の言葉にもどこかの訛りが強く混じっている。
「おかげでフクロウが起きてしまったではないか。」
 憮然としながら大木を振り仰いだ少女の視線を追うと、確かに頭の大きい、丸い目をした鳥が、ぎょろりとこちらを睨んでいる。
「……異国の者か?」
 金髪の少年は、鳥から再び少女へと視線を戻し、彼女をまっすぐに見据えた。
「見ればわかるだろう……。何か物々しいな。」
 不愛想に答えながら、少女はようやく状況を把握する気になったらしく、自分を囲んだ少年たちの顔を静かに目線で追っていた。
「ここへはいつから?」
 少女の一挙一足をも見のがさないかのように視線を据えたままで、少年の尋問が続く。
「三月にも満たない。」
 少女の方も、質問には答えながらその顔つきは徐々に険しいものへと変わっていく。いつでも動ける気構えをしているのだろう。その顔からは、最悪の場合には一戦交えることも辞さないだけの覚悟が伺えた。
「俺はサザン地方領主グリアス・トルチェンの子、バトーだ。」
 突然の少年の名乗りに、彼に付き従っていた少年たちは、一様に驚いた顔を主人に向ける。が、当人は涼しい顔をして、不敵な笑みさえ浮かべていた。
「……なるほど。つまり私は、どこかの斥候かと疑われているわけだ。」
 少女は得心がいったとばかり、小さく息をついて、ほんの少し表情を和らいだものにした。
「まあ、早く言えばそういうことだ。」
 言ってバトーは軽く肩を竦めた。
「冗談じゃない。お前たちを見張るならもっと上手くやるさ。」
 少女は身につけていた短剣をバトーの足元に放り投げながら、憮然とした顔をした。
「そうだろうな。だが、ここではこの4年、ビトーとトルチェンの間でいくさが続いている。その格好では疑われるさ。心しておくといい。……ところであの鳥がどうかしたのか? 卵が美味とかか?」
 バトーの方は、もう目の前の少女を疑う気は失せたらしい。興味深げな視線を、まだこちらを睨んでいる鳥へと向けた。
「まさか。見ていただけだ。ここに来る前にフクロウを飼っていたから、この辺りにも住んでいるのかと思ってな……。そろそろひながかえるから、番いの相手を探していたのだ。この木に住んでいるのは翼も強い、よい鳥だ。きっとひな鳥もそうだろう。」
 少女の方も幾分警戒を解き、大木を見上げた。その顔にわずかながらも笑みが浮ぶ。
「それは邪魔して悪かった。我らはもう去ることにしよう。よいひな鳥が捕まれば良いな。」
「いや……。一度人間を警戒すれば、もうこのフクロウは気を許してはくれまい。今夜のうちに巣を変えるだろうさ。」
 まあ、また探せばよい、と少女は寂しげな口調で付け足して、背を向けた。バトーもまた、部下たちに目配せするとその場を立ち去った。

 翌日、バトーが再び森を訪れると、昨日の少女は大木の根元に立って空になった巣を見上げていた。この少女がいるだけで、うららかな木漏れ陽の落ちる森の中に、ぴんと澄んで張詰めた空気が満たされる。
 昨日のバトーの忠告を聞き入れたのか、普通の村娘のような格好をしているが、夜の闇をまとったかのような黒髪のせいか、やはりその雰囲気は普通の村娘からは程遠い。
「ここに来れば会えると思った。」
 声をかける前から彼の存在に気付いて振り向いた少女に、バトーは軽く唇の端を持ち上げた。少女は相変わらず表情を出さなかったが、その黒い瞳に訝しげな色を浮かべた。何しろ、領主の息子ともあろう者が供も連れずに独りで森の中にいるのだから。
「そこのフクロウなら、あっちの方に引っ越したさ。案内しよう。」
 バトーが東の方角を指差すと、少女は無言のままでほんのわずか首を傾けた。続きを促されていると悟った少年は、軽く苦笑を漏らす。
「昨夜のうちに巣を変えるだろうと言ったから、見張っていたのさ。」
「見張っていた? 夜にか?」
 少女の瞳が軽く見開かれた。
「ああ、昨日の詫びにと思ってな。」
 悪びれもなく答えたバトーに、少女は呆れたような顔をして、そしてくすくすと笑った。微笑めば途端に、彫りの浅い顔だちは年相応の幼いものへと一変する。
「変わった男だな。」
 少女の呟きににやりと笑うと、バトーは足を進めた。少女が後について歩き始める。
「そういえば名前は? まだ聞いていなかったな。」
「……故国に置いてきたさ。」
 歩きながら声をかけた少年に、少女はついと目を逸らした。
「それじゃあ、呼ぶのに不便じゃないか。」
「呼ぶ必要もないだろう?」
 軽く肩を竦めた少年に、少女の答えは素っ気無い。
「じゃあ、勝手に呼ぶぞ。何と呼んでもいいんだな。本当にいいんだな。」
「……螢、と呼べばいい。」
 からかうように言いつのったバトーに、少女は呆れたのか観念したのか、軽く額を押さえた。
「では螢殿。」
 少年の方は愉快そうに笑うと、もったいつけて少女の名を呼んだ。
「フクロウって、あの夜にホーホー鳴く鳥だろう? 何のために飼うんだ?」
「……。」
 少年の口調は、冗談でも言うように軽かったが、その言葉に含まれた意味を正しく読み取って、少女は黙り込んだ。
「素人じゃ、ないんだろう?」
「……昔の話だ。もう足を洗ったさ。」
 はぐらかすように肩をすくめ、少女は視線を逸らす。と、不意に眉を寄せて立ち止まったかと思うと、その顔色がさっと青ざめる。
「カラスか……?」
 小さく呟くなり脱兎のごとく走り出した少女を、バトーは慌てて追いかけた。随分と慣れているのか、少女はうっそうとした森の中を、つまづくことも方向を違うこともなく走っていく。
 すぐに、バトーの耳にも、ぎゃあぎゃあと騒ぐ鳥の声といくつもの羽音が届いてくる。繁った木々の合間に飛び散る茶色と黒の羽を認めた時には、少女は足元の石を拾って、フクロウを囲んでぎゃあぎゃあとやっているカラスたちへと投げているところだった。
 邪魔をされたカラスは、恨めしそうに少女に向ってだみ声を上げながらも、しつこくフクロウをつつき回すのをやめない。業を煮やした少女は、懐から細長い刃物を取り出すと、フクロウの巣穴にとりついていたカラスすれすれにそれを投げる。鋭い音を立てて木の幹に突き立ったそれに驚いたのか、さしものカラスもそこを離れ、近くの枝に飛び移る。
 が、集団の利をよく知っているカラスたちは、一斉に少女の方を向くと威嚇するかのようにぎゃあぎゃあとやかましく鳴き立てた。今にもとびかからんばかりに少女の身体すれすれに旋回する者までいる。少女が他に武器を持っていないのを見越しているのだ。
 バトーは舌打ち一つすると、短銃を抜き放ち、空に向けて数発撃った。もともと合図用に作られたそれは、命中精度は高くないが、やたらと大きな音が出る。その音と火薬の匂いに、ようやくカラスたちも撤退を決めたらしく、ばらばらと飛び去って行った。
「大丈夫だったか?」
 バトーが短銃をしまい、声をかけると、少女はちょうど力なく地面に落ちたフクロウを拾い上げたところだった。その胸毛は無惨にもむしられ、あちこちから血が滲んでいる。もはや助かる見込みはないのは一目瞭然だった。
「済まないな……。私の不注意でお前にこんな無茶をさせた。」
 少女は心底悔やんでいるような口調でそう言うと、脚を細かく震わせているフクロウに、そっと頬を寄せた。
「ああ、助かった。済まないが、少しの間こいつを頼む。」
 バトーを振り返った少女は、彼の手にフクロウを渡すと、巣穴のある木にするすると登っていった。バトーは、自分の手の中で大きな鳥が確実に温もりを失っていくのを感じながら、少女の所作を見守っていた。
 やがて少女は、何かを大事そうに抱えて降りて来た。
「一羽は間に合わなかったが……、他のは助けられた。礼を言う。」
 静かにそう告げた少女の掌では、灰色の産毛に囲まれた愛らしいひな鳥が、丸い目をきょときょとさせていた。
「そうか、それは良かった。で、さっきのあれなんだが、つい合図用のを撃ってしまったから、ここにはそのうちに人が来る。今度こそ気の早いのが勘違いしかねないから、早めにここを去った方がいい。俺も、じいの説教を覚悟しないとな。」
 ひな鳥の動作に微笑んだバトーだったが、すぐに軽口をたたくと苦笑して肩を竦めた。
「そうか。それは悪かったな。……ところで、今夜ここに来れるか?」
 彼と同じように苦笑した少女は、少し考え込んだ後、真顔に戻って少年に尋ねた。
「そりゃ、抜け出そうと思えば抜けだせないこともないと思うが……、それまでにじいの説教が終わっていたらの話だが。どうした?」
 悪戯っぽい顔をしたバトーの言い分にくすりと微笑み、少女はそれを不敵なものへと変えた。
「私の自慢のフクロウを見せてやる。」

「本当に独りで来たのか。」
 闇色の木々の合間から月明かりの差す森の中、木の幹に背を預けて佇んでいた少女は、バトーの姿を認めて呆れ声を漏らした。
「トルチェンの若君は新しもの好きのうつけもの、という噂は本当らしいな。」
「そうか。そりゃ光栄だな。」
 バトーの方は悪びれもせずに言うと、軽く肩を竦めた。
「私が刺客だったらどうするんだ。」
「そうじゃないんだから構わないだろう?」
「それもそうだな。」
 悪戯っぽく笑う少年に、少女の方も諦めたように笑うと、濡れたような木の影から歩みでた。それを追うように、不意に空気が揺れて影が差す。と、音もなく現れた大きな鳥が、少女の肩に止まる。その堂々とした体躯は、広げた翼が少女の細い両肩を覆えるくらいのものだった。
「新月だ。」
 少女が言うと、フクロウはバトーの方にぎょろりと目を向け、一声高く鳴いた。
「へぇ、立派なもんだな。」
 感心したような口調のバトーに、少女はほんのわずか笑みを漏らし、フクロウの脚に括りつけた小さな筒を示した。
「手紙なんかを運ばせたりするのさ。」
 言って、小さく丸めた紙をその中に入れる。軽くその頭を撫でると、自分の役目を悟った新月は宙へと飛び上がり、夜空へと消えて行った。
「どこへ行ったんだ?」
「私の相棒のところだ。」
 少女はバトーを促し、どこへともなく歩き始めた。
「さっきのフクロウ、雄だろう?」
 特に疑うでもなくそれに従いながら、バトーは尋ねた。
「そうだが……、よくわかったな。」
「さっき、俺を見て睨んだ。」
 少年の軽口に、少女は薄闇越しにもわかるくらいに目を丸くして、それからくすくすと笑った。
「相棒のところに新月の番いがいる。フクロウは番いどうしなら、互いの居場所がわかる。それを利用して手紙なんかを届けてもらうのさ。だから、番いで飼って訓練させるんだ。」
 気を取り直して説明を続ける少女に、バトーも澄まし顔で合わせる。
「伝書鳩みたいなものか?」
「まあ、そうだが、鳩は夜は飛ばないだろう? それに、夜は狼煙も上げられない。第一、昼間こそカラスにもつつかれるが、フクロウは猛禽だ。夜ならば、他の敵に襲われることがない。羽音もしないから、他人に気付かれにくい。」
「なるほど、便利だな。」
「だろう?」
 バトーの瞳がにわかに光を帯びるのを見て、少女は唇の端をほんの少し持ち上げた。そして、そろそろか、と足を止める。懐から小さな木の筒のようなものを取り出し、それを口元にあてて吹いた。一見、何も起こらないように見えたが、ふ、と見覚えのある影が差す。
 緩やかに旋回しながら舞い降りた新月は、夜の王者の威厳を漂わせて少女の肩の上で翼を広げ、それをゆっくりと畳んだ。
「さっきのは鳥笛さ。人の耳には聞こえないが、フクロウには聞こえる。呼ぶ時にはこれを吹いてやると飛んで来る。」
 言いながら少女は、フクロウの足の筒から紙を取り出した。先程彼女が入れたものとは違う色をしている。確かに誰かのところに手紙を届け、返事を受け取ってきたのだろう。
「へぇ……。ところでわざわざ呼んでくれたということは期待していいのか?」
「ああ、そうだな、一年後の満月の夜。覚えていたらここに来てくれ。昼間の礼がしたい。」
 バトーの悪戯っぽい物言いに、少女も微笑んで頷いた。
「是非。生きていたら必ず来よう。」
「ふふ。武運を祈っている。」
 そう言った少女の肩の上で、フクロウがくるくると顔を回していた。

 丸い月が、静かな森に清かな影を投げていた。少女は、いつかのように、背を向けて夜空を見上げていた。
「螢殿。」
 呼べばゆっくりと振り向いて、笑みを浮かべた。
「……これは見違えた。タステの戦いでの噂は聞いているよ、バトー殿。ビトーの大軍を見事に破ったそうだが、その面構えならなるほど、頷ける。」
 そう言う少女の表情もまた、見違える程に柔らかくて、彼女が以前言っていた「足を洗った」という言葉を裏付けているようだった。言葉からも、あの固かった訛りがほとんど消えている。
「では、バトー様。私から献上するものがございます。」
 恭しく辞儀などして見せてから、少女は空に向って鳥笛を吹いた。2つの影が交差しながら舞い降りて、少女の足元の籠にそれぞれ自ら入る。遅れて舞い降りた一際大きな影が、少女の肩へとゆっくりと留まった。
「こっちの黒っぽいのが、この新月の子だ。そして、こちらの白っぽい方は、一年前助けてもらったひな鳥だ。立派になったろう?」
 今日からお前たちの主人はこの人だと、中の若鳥に言いながら、2つの籠をバトーへと差し出す。2羽の若鳥は、賢そうな、愛嬌のある顔をバトーへと向けた。
「いいのか?」
 バトーは遠慮がちに少女の肩のフクロウを見た。若鳥に比べて一回りも二回りも大きな鳥は、ぐるぐると目を回し、喉を鳴らした。愛嬌のある丸い顔を、少女の頬へとすりつける。
「何だ、寂しいのか。ひなが成長したら親元を離れるのは当然だろう? 仕方ないやつだな、お前も。」
 少女が苦笑しながら喉元を撫でてやると、新月は再び喉を鳴らして木の枝へと飛び上がった。
「あと、これが笛だ。フクロウを呼ぶ時に使うといい。餌は肉を食べるが、自分で狩りをするから時には放してやってくれ。ま、新月があの通り心配顔をしている。よく可愛がってやってくれ。」
 少女は木の上をフクロウを見上げ、軽く肩を竦めた。
「まあ、聞きたいことがあれば、ここで笛を吹けばいいさ。新月が聞き付けるだろう。この森を気に入ったようだから。」
 では、元気でな。そう告げた言葉は、少年に向けられたものか、若鳥に向けられたものか。
「ああ、ありがとう。大事にするよ。」
 バトーの言葉に軽く微笑むと、少女はそのまま踵を返した。これ以上は、新月程でないにしても、若鳥たちとの名残りが惜しくなるというのだろう。自分の手で育てたことには変わりないのだから。
 それを察して、バトーはただ黙って見送った。少女の姿が闇に溶けると、どこからともなく夜の鳥の声が聞こえて来るようだった。           





あとがき
 ええと、遅くなって済みません。6666thヒットの記念に(いつのだ)、松虫大さまよりリクエストを頂きました。以前、私の前宅のキャラが大さま宅のバトー様にフクロウを献上したことがありまして、その時の話をエピソード化して、ということで書かせて頂きました。
 本当、長らくお待たせした上にこんなので申し訳ありません。なんだかバトー君がすっかり曲者になってしまっております(自爆)。ま、まあ、また懲りずに踏んでやってください。
 あと、本文中のフクロウの生態については、半分くらい創作が混じっていますので、あまり信じ込まないで下さいね(笑)
 バトー君の活躍する異世界戦記「アルトアの大地」が読みたくなった方はどうぞd.a.i net Laboratoryへ  


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