Early Bird


 そこがほんの小さな針葉樹の林でも、木々の中に入ると、一転して空気は変わるものだ。独特の木の匂いを含んだ空気は、ひやりと湿って、そこにいる者を包み込む。
 しっとりとした森の香を吸い込んで、少女は大きく息をついた。地面にはふかふかとした落ち葉が積り、確かめるように踏み締めた足がほどよく沈み込む。少し見上げれば、木々が深い灰緑色の脇から淡い新芽を覗かせている。
 懐かしいような、安堵を覚えるような、そんな感覚に少女は目を細めた。今の暮らしに不満は全くないけれど、時折はやはり、森の空気が恋しくなる。自分が独りで外に出ることを一緒に暮らす青年はよく思っていないことも、それが根拠のないことではないこともわかってはいたが、彼の目の届く範囲なら良いだろうと勝手に納得して、ふらりと散歩がてら歩いてきたのだ。
 亜麻色の細い髪をかきあげて、もう一度少女は深呼吸をした。吸い込んだ森の香が身体中を洗っていくようで、感覚が研ぎ澄まされていくようにも思える。やはり、長年暮らしてきた環境に近いせいだろう、不思議と気分が落ち着く。光をずいぶんと落とされた木漏れ日も、さやさやと木々の間を抜ける風の音も、肌に心地よい。
 ふと、風の音にぴぃぴぃと甲高い音が混じっているのに気付いて、少女はあたりを見回した。鳥の雛の声のようだが、上方ではなく地面の方から聞こえてくる。注意深く視線を巡らせると、落ち葉に埋もれるようにして鳴いている、灰色の産毛に包まれたそれが目に入った。その傍らの木を目を細めて見上げると、鳥の巣らしきものも確かに見える。
「落ちちゃったのか……。」
 少女は注意深く雛の近くにかがみこむと、困惑の溜息を漏らした。まだ羽根も生え揃わない雛は、精一杯に首を伸ばして、絞り出すような声で高く鳴いた。その小さな身体には、いく本かの傷跡が走っている。
「困ったねぇ……。」
 雛の視線を追うように、少女は樹上の巣を見上げた。よく耳を済ませば、他の雛らしき鳴き声が聞こえてくるが、親鳥の姿は見えない。
 鳥の中には、雛鳥同士で巣から蹴落とし合うものもいる。親鳥はそれを黙認するのが常だ。そうでなくともこの種の鳥は、巣から落ちた雛は育てない。巣から落ちるような雛は生き残る見込みが薄い。見込みの薄い雛にまで手をかける余裕などないということだろう。
 そうとも知らず、雛鳥はまん丸い黒い瞳を広げて、樹上を見詰めて鳴き続けた。ひし形の薄い嘴をいっぱいに開き、甲高い声を張り上げる。
「……。」
 少女は再び溜息をついて、巣を見上げた。小柄な少女の手の届く場所ではないが、高すぎる場所でもない。少し木によじ登れば何とかなるだろう。親鳥が戻って来る前に巣に戻せば、また育ててもらえるかもしれない。
 けれどもそれは、同胞に蹴落とされたのでなければ、の話だ。巣に戻ったところで、また追い出されては、元も子もない。
 雛は相変わらず、巣を見上げては切ないくらいの声で鳴いている。世界はこんなに広いのに、あんなに小さな巣を恋しがって。否、どんなに外の世界が広くても、この雛にとっては、唯一知るあの小さな巣が世界の全てなのだ。たとえまた同胞に蹴落とされるのだとしても。
 少女はしばらく、小さな小さな雛を見詰めていた。おもむろに、木の幹へ、そしてぶらさがったままの自分の左手へと視線を移す。
「これくらいなら、片手でも登れるかな……。」
 小さく呟くと、少女はそっと雛を右手で拾い上げた。雛は羽根の生えていない翼を広げ、一際大きな声をあげる。
「ちょっとじっとしてて。」
 言葉のわかろうはずもない雛に言いおくと、それを自分の頭にのせる。自分の細い髪が暴れた雛の脚に絡んで、少女は顔をしかめたが、雛が落ちるよりはましだろうと思い直した。
 そのまま、木の幹へと手をかけ、足をかける。
「よ、い、しょっと……。」
 手足にかかった思いがけない重量に、少女は思わず声を漏らした。以前のように身軽に、とはとてもいかなかったが、それでもどうにか鳥の巣にまで辿り着いて、軽く息をつく。そして、頭に乗せていた雛を巣に戻そうと右手を離したその途端。
 視界にいくつもの、眩しい白と青が滲む。ついで、衝撃が背中から全身へと走った。身体の下でかさりと鳴る落ち葉の感覚で、少女は自分が木から落ちたことを知った。
「……。」
 喉が塞がれたかのように、息を吸うことも吐くこともできない。少女はそのままぼんやりと瞳を空に向けた。木立に切り取られた空が眩しく映る。
 綺麗だね、と声にならない声で呟いて、少女は明滅するいくつもの光の粒を眺めていた。

 青年は、呆れたように溜息をついた。地面に身体を投げ出して、虚ろな目を宙に向けていた少女は、その気配を察したのか、ゆっくりと視線を青年の方へと向けた。
「綺麗だね、ここ。」
 蚊の鳴くような声で呟いて、少女は弱々しい笑みを浮かべた。
「……木から落ちちゃったの。」
 青年が黙ったままでいると、少女は決まり悪そうに付け加えた。
「全く……。怪我は?」
 再び溜息をついて、青年が少女の身体をそっと抱き起こすと、少女は甘えるように頬を寄せた。
「……大丈夫そうだな。」
 少女の顔色を注意深く見詰めて、青年はまた嘆息した。
「頭が鳥の巣になってるぞ。」
 呆れまじりに呟いて、少女の髪にからまった枯れ葉や小枝をとってやる。彼女の前髪に絡まったままの雛が、ぴぃと小さく鳴いた。その声に、少女は思い出したように、あ、と小さな声をあげる。
「ね、この子、飼ってもいい?」
「うん?」
 少女の唐突な要求に、青年は頭上を見上げた。木の中程の枝に巣がかかっているのだろう、親鳥らしい鳥がこちらを見下ろしている。
「巣から落ちたのか?」
 わずかに眉を寄せた青年に、少女は上目遣いで頷いた。
「……。」
 青年は、少女と雛鳥とを見比べて、すっかり癖になっている溜息をつく。
 巣から落ちた雛鳥が人の手で育つとはとうてい思えなかった。すぐ死ぬぞ、と喉まで出かけた言葉を呑み込んで、青年は少女の顔をじっと見つめた。彼女だってそれくらいはわかっているはずだ。
 けれど、少女は相変わらずの上目遣いで青年を見返すだけだった。
 ただの気紛れか、それとも、幼くして親の庇護を失った雛に自らの姿を重ねでもしているのか。むしろ、この脆弱な少女と共に暮らしている青年自身の姿を突き付けられているようにも思えて、彼は少女の翡翠の瞳を見つけ続けた。
 拒まれるとでも思ったのか、少女は困惑をやや濃いものにして、軽く首を傾げた。
 青年は、小さな苦笑を漏らして、少女の瞳から視線を外した。今の彼女が、意図して皮肉めいた行動をとれるはずなどないのは、判り切っていたはずだ。
「好きにするといいさ。」
 淡白に告げると、少女は途端に満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。名前、考えなきゃ。」
 ようやっと絡まった髪から離れた雛を掌に乗せて、無邪気に言う。雛ももう慣れたのか、少女の掌の上で大人しくしているどころか、甘えたような鳴き声までたてる。少女は嬉しそうな顔をして「ねー」などと、返事をしている。
「……同じ木から落ちた同士、気が合うんだな。」
「意地悪。」
 青年が軽く肩を竦めて言うと、少女は頬を膨らませた。ひょいと青年の腕の中から身体を起こす。
「じゃ、帰ろ。」
 スカートの裾を翻して振り向くと、少女は上機嫌に笑った。何も知らない子どものような、屈託のない笑みだった。青年は、小さく息を吐いてわずかに口元を綻ばせて、少女の横に並んだ。
「もう木には登るなよ。」
 からかうように言うと、少女は再び頬を膨らませた。その幼い所作に青年がくすりと笑みを漏らすと、少女も困ったような笑みを浮かべた。その小さな掌の中で、灰色の雛が細い鳴き声をあげた。







あとがき
 ええと、確か、8765thHIT記念……だったと思います。いつものようにたまき。様からリクを頂きました。ありがとうございます。そして、激しくお待たせしてごめんなさい(自爆)。これが決まり文句になりつつある今日この頃……。ダメですねぇ……。
 タイトルには特に意味はありません。ただの語呂なだけで。ヤツは朝に弱いので、全然「早起き鳥」じゃないと思いますし。
 そして、確かまだキリ番あったはず……。はい、もう一本いかせていただきます。
 またかよ……と思いつつもこの甘々話につきあって下さる皆様も(そんなにおられないと思いますが)、いつもいつもありがとうございます。
 それでは、またの機会があればリクエスト下さいませ。  

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