鋭い外気に耐えかねて、マフラーを口元まで引き上げた。吐息のかかった毛糸はあっという間に凍り付く。
「寒い」という言葉が生温い、という評判は聞いてはいたが、体験してみるまではわからないものだ。背中を預けた雪からしんしんと冷たさが染み渡ってくるのを感じながら、異国の澄んだ夜空を見上げた。 黒い木立に区切られた闇空には、名前も知らない銀色の星がいくつも震えるように瞬いている。
オーロラを見たい、と無性に思ったのは何故だろうか。
「すごく綺麗で神秘的だったよ。こう、何て言うかな、別世界にいるような気分になるというか、足下がふわっと浮き上がるような感じがするというか……。」
お土産のフルーツゼリーを差し出しながら、うっとりとした顔でそう言った友人の顔は、確かに頭のほんの片隅くらいには残っていたけれど。
夢に破れて、自分の道と居場所を見失って、無為にぶらぶらと日々を送っていた時、ふと目に留まった旅行代理店の店頭広告。夜空を彩る光のカーテンの写真を見た時、不意にあの友人の顔が頭に浮んだ。そのまま吸い寄せられるようにふらふらと店内に入り、ちょうどキャンセル空きのあった北欧ツアーにその場で申し込んだ。なけなしの金をはたいて。
何故か、「別世界にいるような気分」や「足下がふわっと浮き上がるような感じ」への激しい渇望を感じたのだ。その体験を知れば現状を抜け出す道が与えられるかのように錯覚したのかもしれない。
しかし、否、やはり、というべきか。地に足もつけぬ者には天は微笑まないらしい。
「この季節でしたら、天候さえよければほぼ確実に見られますよ。」
旅行代理店の店員はそう言って営業用の笑顔を作ったけれど、この黒く冴えた空には、銀色の星が瞬くばかり。緑のカーテンの裾さえひらめきはしない。
−−確かに一度酷評されただけでここまで打ちのめされるというのは情けないことかもしれない。けれど、あれは渾身の作品だった……。
未練がましく思い出して嘆息した。マフラーにしみ込んだ溜息は、すぐに冷たく凍り付いた。
この世界で能力が認められるのは、よほどの才能とチャンスに恵まれた者だけ。そう知っていたし、覚悟もしていた。けれど実際は、ただそのつもりでしかなかったのだ。
ただ一人、雪に寝転びながら、己の甘さを噛み締めていた。マフラーを凍らせる息を吐きながら、すこし視線を落としたその時、耳に澄んだ音が響いた。
張り詰めたような、泣いているような、切なげな、そしてどこまで澄んだ高い音。
見上げてみて、息を飲んだ。大きな流星が強い光を放ちながら夜空を引き裂いて滑って行く。
時間にすればほんの刹那だったはずだが、白い煌めきはまぶたの裏にはっきりと残った。背中が、指先が、唇が、震える。それは寒さのせいなどでは決してなく。
足場のない真空の宇宙を漂う小さな小さな星は、身を削り、泣叫びながら地球に落とされてくるのだろうか。それとも、焦がれる程に求めていた還る場所を見つけて、一目散に降ってくるのだろうか。
「カメラ、構えておけばよかったな……。」
呆然と目を見開いたまま思わず口にしていた言葉に気付き、つい苦笑して、少し胸と目頭が熱くなった。放り出したはずの夢だったのに。
すっかり冷たくなった身体を起こして、粉雪を払った。細かな粉がきらきらと光る。顔をあげれば暖かな灯を点したコテージが待っていた。
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