Baby Pink


 古い石造りの街の外れ。少女は、紅茶専門店の扉をそっと押し開けた。中から流れ出る暖かい空気に、細い亜麻色の髪がほんのわずか揺れる。
 11月も半ば、この地方では冬の声も聞こえてこようというのに、少女はコートも着ていない。白い頬は寒さで紅潮して、ただでさえ幼い顔だちをさらに幼く見せていた。
 少女は顔だけをそっと中に差し入れて、きょろきょろと店内を伺った。が、やはり捜し人の姿は見えない。訝しげに軽く眉を寄せて溜息をつき、少女は諦めて身体を引こうとした。
「いらっしゃい。」
 店番が気付いたらしい。少しハスキーな大人びた女の声が降ってきた。
「あ……。」
 声をかけられるとは思っていなかった少女は、咄嗟にどうしていいかわからず、身を硬くした。それを見て店番の女性は軽く首を傾げる。少し肌の浅黒い、赤い口紅の印象的な女だった。
「何か探しているのかしら?」
 女は、訝りながらも物おじする様子もなく、問いを重ねた。
「……。」
 言われて仕方なく、少女は扉の隙間から華奢な身体を中へと滑り込ませた。長い髪を扉にはさまれないように手で押さえ、肩から割り込むようにして何とも不器用に入り込む。
 店内にただよう紅茶の香りにほんの一瞬だけ表情を緩めたものの、少女はすぐにまた顔を強張らせた。
「……カインを探してるの。」
 いくら幼く見えるとはいっても10代の後半にはなっているであろうに、まるで人見知りをする幼児のように、少女は上目遣いで短く答えた。
「カイン?」
 木のカウンターに肘をつき、赤く塗られた形の良い爪を頬に押し当てたままで、店番の女は再び小首を傾げた。華のある人間というのはそういうものなのだろう、ただこれだけの動作が実に華やいで艶っぽく見える。
「……スーツ着てて、背はこれくらいで、髪も目も黒いの。」
 きゅ、と小さく拳を握り、やや口籠りながらも、少女は律儀に答えた。
「ああ、いつも来てくれる彼かしら?」
 合点がいった、という風情で女は軽く微笑んだ。艶やかに塗られた赤い唇が、三日月の形に結ばれる。
「……。」
 その匂いたつような色香に圧されたのか、少女はさらに身を硬くした。女は余裕のある笑みを浮かべたままで、言葉を継いだ。
「彼なら今日はまだ来てないけれど……。妹さんか姪御さんかしら?」
 前の部分だけを聞いてくるりと身を翻した少女は、後半を聞くとぴたりと足を止めた。
「妹とかじゃないもん。コイビトだもん。」
 あからさまにむっとした顔をして、少女は勢い良く振り向いた。
「あら、可愛い恋人ね。」
 女がくすりと笑うと、少女は相手にされていないと感じたのか、ぐいと右手を突き出した。細い薬指にプラチナの指輪がきらりと光る。
「ケッコンだってしてるんだもん。ほら。」
 懸命に胸を張って主張する少女に、女は再び失笑を漏らす。
「結婚指輪は左手にするものよ?」
「……。」
 何気なく言った女の言葉に、少女の顔がさっと青ざめた。鮮やかな緑の瞳から、透けるように色が引く。
 鋭いとも冷たいとも形容しがたい少女の視線を真直ぐに受けて、女は思わず眉を寄せた。
 怯えているわけでもない、呆然としているわけでもない、怒っているのだ、この少女は。それも尋常ではないくらいに。
 理不尽にも思える少女の豹変に、女は口を開くわけにも視線を逸らすわけにもいかず、ただ黙って彼女の瞳を見返した。切れそうな緊張だけが張り詰める。
「何をそんなに怒っている。」
 永遠に続くかとも思えた緊迫をいともあっさりと破ったのは、どこか呆れを含んだ青年の声だった。いつの間にそこにいたのか、この店の常連客にして少女の捜し人は、彼女の頭にぽん、と軽く手を置いた。
「だって!」
 少女が怒気をはらんだ声で叫びながら振り向くのにも驚く様子もなく、カウンターの奥の女には、「いつもの頼むよ」とかるく微笑んで短く言いおく。女が頷いて茶葉を量り始めると、怒りの遣り場を失った少女は、むっと頬を膨らませた。
「……だいたい、カインがいけないんだよ。勝手にどっか行っちゃうんだから!」
 収まりきらない怒りの矛先は、結局この青年へと向いたらしい。唇を尖らせ、甲高い声で苦情を叩き付ける。
「へぇ。上着も着ずに車から飛び出していったのはどこの誰?」
 青年がからかうようにさらりと言うと、少女は一瞬つまったものの、すぐにまた、まなじりをつりあげた。
「あたしはぁ、ちゃんと『ここで待ってて』って言ったもんっ。」
「……そりゃ、悪かった。何でもいいが、いい加減に上着着ろ。風邪ひくぞ。」
 少女の怒りなどどこ吹く風。軽く流した青年が、いつもの笑みを浮かべて少女のコートを示すと、彼女は頬を膨らませたままで無造作に右腕を袖へと突っ込んだ。この笑みには弱いのだ。
 青年は笑みを少し苦いものに変えながら少女の前にかがみこみ、残った左手をとって袖にくぐらせ、丁寧に肩を合わせてやる。少女はきまりが悪いのか、相変わらずの膨れっ面でぷいと視線を逸らせた。細い亜麻色の毛先がふわりと宙を舞う。
「いつものでよかったのよね。」
 女が缶に詰め終わった紅茶を示すと、青年はにこりと笑ってカウンターの上に紙幣を出した。
「ありがとう。連れが迷惑をかけて悪かったね。」
「いいえ。どうもありがとう。また来てね。」
 女は再び艶っぽい笑みを浮かべた。青年は紅茶を受け取って、愛想よく女に挨拶すると、すっかりふて腐れた少女を促して店を出た。
「……見せつけてくれるわねぇ。」
 女は2人の姿が見えなくなってから、小さくぼやいた。先程の青年の行動で、なぜあれほど少女が怒ったのか得心がいった。彼女は左手が不自由なのだ。一見わからないが、ひょっとしたら義手なのかもしれない。
 彼はそれとわからせるために、わざわざ少女にコートを着せて見せたのだろう。澄ました顔して、ちゃんと成りゆきを見ていたわけだ。
 女は再び、溜息をついた。

 まだ腹を立てているのか、駐車場へと歩く間も、少女は一言とて口を利かなかった。青年は、軽く嘆息すると、自分より頭一つは小さい少女の顔をそれとなく覗き込む。小さな唇は固く結ばれているようだった。けれど、目元に険しさはなく、目尻はこころもち下がっている。むしろ怒っているというよりは、落ち込んでいるという風情だろうか。
「……何か、買い忘れたものはある?」
 青年はあまり良いとは言えない思いつきに苦笑しながら、少女に声をかけた。
 物で釣るというのはあまり品のいい話でもないし、この少女は物を欲しがるタイプでもない。下手すればまた怒りだしかねない。
 けれど、今回だけは別だったらしい。意外にも、少女はすっと顔をあげて、翡翠の瞳をまっすぐに青年に向けた。
「口紅、欲しい。」
 短く告げられた突拍子もない要求は、それでも切実な響きを含んでいて、青年はしばし目を瞬いた。少し考えをめぐらせ、すぐに先程の紅茶店の娘の艶やかな笑みに思い至る。青年は小さく溜息をつくと曖昧な笑みを浮かべて、少女の手をとった。

「……。」
 少女は今にも泣き出しそうな顔をして、差し出された鏡の中の自分を見詰めていた。青年に化粧品店に連れて来てもらい、鮮やかな深紅のルージュを店員に塗ってもらったまではよかったのだが、それが恐ろしく似合わない。
 肌が白く、幼い顔だちの中で、べったりと染まった唇がやたらと浮いてしかたがない。しかも悪いことに、主張の強い赤が鮮やかな緑の瞳とかちあって、さらにちぐはぐな印象を与える。
 それでも一度は唇の端を持ち上げて笑ってみたものの、鏡の中の顔が浮かべた笑みはひどく下品なものに見えた。
「……やっぱり、いらない……。」
 しゅんと俯いたまま、消え入りそうな声で言うと、そろそろ中年の域を出ようかという年頃の女の店員は、気を悪くした様子もなく口紅を落としてくれた。
 すっかり肩を落とした少女が椅子からおりようとするのを、青年は片手で押しとどめた。怪訝そうにのっそりと顔をあげた少女に、にこりといつもの笑みを向ける。
「こっちの色、つけてもらうといい。」
 にわかには興味を示さない少女に構わず、青年は店員に違う色の口紅を渡した。店員は愛想よくそれを受け取り、紅筆をとる。拒む理由もないのか、少女はされるがままにしていた。
「……あら、可愛い。」
 彼女にとっては、少女が娘くらいの年に見えるのだろう。店員は少女の唇に紅を引き、一歩下がってにっこりと笑った。
「ついでにチークとシャドウもいれちゃおうかしら。」
 独り言よろしく呟くと、いそいそとブラシを取り出す。そして粉を少女の顔に何度かはたき、淡く色を乗せた。
「ほら。」
 店員は満足そうに微笑むと、大きな手鏡を少女の前に差し出した。少女はおそるおそるそれを覗き込む。
「……。」
 青年が選んでくれた口紅はベージュのかかった柔らかなピンクで、少女の肌に程よく馴染み、ほんのりと色を添えてくれる。薄く乗ったチークとシャドウとあいまって、花が綻んだようなよそ行きの表情を作っていた。
 少女は一瞬、口元を緩めて、しかしすぐにまた不安そうな顔に戻った。すがるような目で傍らの青年を見上げる。
「オレはこっちのが好きだけど?」
 少女が、自分が幼く見えることを気にかけていると察して、青年は苦笑しながら答えた。それで、ようやく少女の顔に満面の笑みが戻る。
「じゃ、これ下さい。」
 にっこりと笑った少女に、店員も目を細めて、小さな紙袋に口紅を入れてくれた。

「ね、あれ出して。」
 帰り着くやいなや、少女は掌を差し出した。青年は軽く苦笑し、先程の紙袋を開けて口紅を取り出す。少し思案して、箱も開け、口紅の底に貼ってある色名のシールを剥がし、蓋をはずしてから少女に渡した。片手でこれをするのは少し骨が折れるだろう。
 じれったいと言わんばかりの顔をして待っていた少女は、それを受け取ると、すとんとソファに腰を下ろした。ぎこちない手付きながら、嬉しそうに口紅をくりだして眺める。
 そんな少女を微笑ましげに見て、青年は手の中のシールを貼り付けた空き箱に視線を落とし、軽く苦笑してそのまま握り潰す。彼の手の中で、BABY PINKの文字がくしゃりと音をたてた。
 





あとがき
 7100thHITの記念に、たまき。さまにリクをいただきました。ありがとうございます。
 カイン氏、いつもながら出張お疲れ様です。そしていつもお世話さまです。
 ま、人には似合う色似合わない色がありますから、焼きもちやいても仕方ないんですけどね(笑) ところで彼女、自分では化粧できないんじゃない? ってツッコミは横によけておいてください(苦笑)


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