Another Epilogue


 がら、がら、とためらうようにカウベルが鳴った。その奇妙な鳴り方に、店主は訝しげに新聞から顔をあげた。
「よい、しょっと……。」
 いかにも大儀そうにドアを身体で押し開けた少女は、するりと店内に身を滑り込ませた。勢い良くドアがしまり、カウベルが慌ただしく音を立てた。
「おや、いらっしゃい、お嬢ちゃん。」
 寒風に頬を紅潮させた少女が大きく息を吐いて顔を上げるのを待って、店主はにこやかに声をかけた。が、少女は不服そうに唇を尖らせた。
「……『お嬢ちゃん』?」
「あ、いや、いらっしゃいませ。」
 店主は苦笑すると慌てて言い直す。けれど、この表情や仕種からして、誰がどこからどう見ても「お嬢ちゃん」ではないか。連れの青年がいないと、つい砕けた口調になってしまうのは、何も店主の責ではないはずだ。
「今日は、1人?」
 いつも一緒にいる青年の姿が見えないので、店主は少し訝しげに尋ねた。
「今日は」とわざわざ断りを入れる程、彼等は足しげく通ってくるわけでもない。けれど、最初に来た時に、売り物ではないオルゴールに目をつけたことを除いても、このどこか不思議なカップルはかなり印象に残りやすい。あの保護者然とした青年が、彼女を1人でうろつかせているというのも、少し想像しにくい図ではあった。
「うん。」
 少女は拗ねるのをやめて、さっさと機嫌を直したらしい。少し照れたような笑みを浮かべて頷く。
「オルゴール、出そうか?」
「ううん、今日はそうじゃないの。」
 気をきかせて腰を浮かしかけた店主を、少女は慌てて止めた。
「今日はね、お買い物に来たの。」
 言いながら、澄んだ緑色の視線を落ち着かなげにきょろきょろさせる。
「へぇ。」
 店主が驚いたように目を丸くさせるのにも構わず、少女はやっと目当てのものを見つけたらしい。棚の上の方を勢い良く指差した。
「あれ、あの時計が欲しいの。」
 言われるがままに、店主は棚を覗き込んだ。
「これは参ったねぇ……、大した目利きだねぇ、お嬢ちゃんは。」
 指された時計を手にとりながら店主は苦笑する。その厚い掌にすっぽり収まる懐中時計は、つや消しされた金地に、一つだけ小さな黒い石のはめ込まれた、実にシンプルなものだった。よく見れば地には細やかな彫りがなされているが、一見して人の目に留まるような華やかさはない。それでいて扱いの難しい代物だと、見る者が見ればすぐにわかる。この幼さを残した少女に、その価値がわかるというのは店主にとっては予想外でもあった。
 とはいっても、彼は自分の気に入った物しか店頭に置かない。結果として、彼女がどれを選んでも「目利き」となることには違いがなかったが。
「ん、これ。」
 少女は、店主の手の中の時計を覗き込んで満足そうに微笑んだ。が、すぐに不安げな顔になると上目遣いで男を見上げた。
「……あのね、あたし、お金持ってないの。」
「へ?」
 我ながら間抜けだと思いながらも、店主はぽかんと口を開けずにいられなかった。
「だ、だからね、お金の代わりにこれじゃ、ダメ?」
 少女は慌てて言葉を足すと、ワンピースのポケットの中から、無造作にハンカチに包まれたものを取り出した。カウンターの上にそれを置き、右手だけでぎこちなく開いていく。
「……やっぱり、ダメ?」
 スカートの裾を握りしめ、少女はおずおずと尋ねた。
「……これは?」
 ハンカチの中から現れた銀の髪飾りに、ちらりと困った視線を落とした店主は、すぐに表情を一変させた。
「ちょっと失礼。」
 ハンカチごと手にとると、素早く引き出しからルーペを取り出して、片目に当てる。
「これ……、砂型で作ってあるね。しかもちょっと見にはわからないけど……、随分と古いね。これ、どこで手に入れたの?」
 一見、銀の枝葉に小さな蒼の花が咲いた、可憐なだけの髪飾りに見えるが、よくよく見れば、現在では使われない方法で作られているのがわかる。非常に保存状態が良いのでわかりにくいが、かるく2、300年は前のものだろう。花を象っている蒼い石もよく見ればわずかに紫のかかった、珍しい色合いをしている。
 それよりも何よりも。永年を過ぎた品というのは、人から人へと渡っていくうちに、澱にも似たさまざまな思いが溜まっていくものだ。しかし、この髪飾りにはそれがない。あたかも製作者が直接この少女に贈ったかのような、純粋さを漂わせている。
 母から娘へ、娘からその子へ。大切に、一途に伝えられてきた品でもない限り、このような雰囲気は纏わない。ならこの少女にとって、この髪飾りの価値は金銭に代えられるものではないはずだ。
「……兄さんに、もらったの。」
 そんな店主の心中を察したのだろうか。少女は途端に用心深い表情を浮かべる。
「そう……。大事なものなんだろう? これ。手放さない方がいい。お金のことなら、彼に相談できるだろう?」
 店主が諭すように言うと、少女は困惑の表情をありありと浮かべて俯いた。
「それじゃ、ダメなの。」
 小さな声でそう言うなり、黙り込んでしまう。
 店主は軽く頭をかくと、ショーウインドーの方へと視線を向けた。白木のオルゴールの向こうのガラスは、すっかり曇っていた。ふと、暖炉で薪がはぜる度に、店の外は冷たく冷えていくような錯覚を感じて店主は苦笑を浮かべる。
「お誕生日ってね、その人が生まれたことをお祝いするんだってね。」
 不意に、少女が静かに口を開いた。幼さの残るその言葉に比して、その口調はひどく大人びたものだった。
「だから、あたしは、あたしが生まれたことを喜んでくれる人の生まれた日をお祝いしたいの。……その日が何度目ででも、あたしは……、嬉しいから。今、あたしの側にいてくれることが、すごく。だから……、今はこっちの方が、大事なの。」
「……。」
 黙って聞いていた店主は、そっと少女の顔を盗み見た。思いつめたように物憂げに伏せられた翡翠の瞳は、抜けるように白い肌と相まって、すぐにも消えてしまいそうな儚さを漂わせていた。カウンターの上に乗せられた小さな手も、改めて見れば、驚くほどに青白く、細い。
 彼女の幼い所作や、よく変わる表情のせいで気付かなかったが、今こうして見てみると、普通ならこの年頃の少女には満ち満ちているはずの生命力というものがほとんど感じられない。
 彼女には彼女の事情があり、それなりによく考えた結果なのだろう。店主は小さく溜息をついた。
「……本当に、いいんですか?」
 躊躇いがちに店主が念を押すと、少女は深く頷いた。
「では、この品と交換致しましょう。」
 店主は穏やかに告げると、金の時計を包み始めた。少女は礼の言葉を口にして、軽く目を閉じた。
「……さすがだねぇ。」
 時計が包み終わる頃、おもむろに少女が溜息まじりに呟いた。
「名匠の血筋と名前は伊達じゃないんだねぇ、クラウス・グッゲンビュールさん。」
「え?」
 突然名前を呼ばれて、店主は包み終わった品を半ば差し出したままで、ぽかんと口を開けた。そんな店主の様子に、少女はくすくすと笑いながら、品物を受け取る。
「だって、看板に書いてあるじゃない。」
「え? それはそうですが……。」
 それでも得心がいかず、呆然とした表情を崩さない店主に、少女は不意に真顔を向けた。
「あのね、あの髪飾り、できれば売らないで欲しいの。あなたの奥さんか娘さんに使って欲しいなって。」
 それだけ言うと、再びにこりと甘えたような笑みを浮かべる。
「これ、ありがとう。またね。」
 くるりと踵を返して、少女はドアに手をかけた。店主は慌てて駆け寄ると、少女の代わりにドアを押し開けた。がらんがらん、といつものカウベルが鳴る。
「ありがと。」
 途端に吹き込んできた寒風に少し肩をすくめて、少女は微笑んだ。
「あのね、あたしの名前、アイリスっていうの。覚えておいてね。」
 悪戯っぽく言いおいて、少女は冷たい石畳の街へと走り出て行った。店主は目を瞬かせながらその後ろ姿を見送って、溜息まじりの笑みを浮かべる。
 冷たい風が吹き込んで来て、店主は思わず首を竦めた。もう11月も半ばだ。あと一月もすれば、今度は青年の方が1人でこの店を訪れることもあるかもしれない。その時にはそれとなく相談することもできるだろう。
 店主は小さく息をつくと、扉を閉めた。がらんがらんとカウベルの音が鳴る。扉の外で、「無銘の名匠」の看板が、ゆっくりと揺れた。







あとがき
 長らくお待たせしましたパート2(どころじゃない気もしますが……)。今回は確か8888thHIT記念に、ネタばれ編ということでたまき。さまからリクエスト頂きました。いつもありがとうございます。
 ……あんまりばれていない上に、彼は出てこないし、ヤツは素でNGワード的行動をとっているような気がするのですが、その辺は、不器用な奴めと軽く流していただけると幸いです。……が、そのうちに見捨てられそうな気もする今日この頃……(自爆)
 は、ともかく。拙宅の暗い長編を読了下さって、これも読んで下さった奇特な方へ。今回の彼女は同名の別人じゃありません。その意味でタイトルがこうなっております。何だかイメージが合わないなぁ、と思われる方はパラレルワールドみたいなものだと思っていただければ幸いです。
 ではでは、またの機会があれば是非お申し付け下さいませ。  

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