水晶


「どうして『月見』っていうのはあるのに『日見』っていうのはないのかなぁ?」
放課後。なにげなく口にしたあたしに、友だちはみんな奇妙な顔をした。
「そんなの、まぶしいからでしょ?見れないじゃん。」
アサコがなんのことはない、という顔をしてそういうと、そうだそうだとみんなうなずいて、すぐに違う話題へと話は流れていった。
あたしはちょっとだけがっかりして……そしてすごくほっとしていた。
みんな知らないんだ、太陽がどんなにキレイかなんて。
それはきっとあたしだけの秘密。

友だちと別れた後、あたしはいつものように町民プールへと向かう。
ヒマそうにしている受け付けのおじさんに100円玉を渡して中に入る。
すっかりひなびたプールには、ほとんど客はいない。
一応形だけシャワーを浴びると、さっさと浅めのプールに足をつける。

ここがあたしの指定席。
すぅっと吸える限りの息を静かに吸い込むと、そのまま身体を沈める。
とぷん、と軽い音がして、雑音は全て遠くへと去って行く。ふわりと髪が持ち上がり、身体中が軽くなる。
そのまま上を見上げると、やわらかな金色の模様の向こうに、透明な太陽。
ゆらゆらと揺れて、いたずらっぽくさざめき、笑い、あたしを誘う。
あたしが吐いた息が小さな泡になって、太陽を揺らす。
きらきらと瞬く光は、くすぐったそうに震える。
少し泣きそうな表情になって、泡から逃げる。
そして今度はからかうように、ちらちらと煌めく。

それはほんの一分か二分の、魔法。

「ぷはぁっ……。」
息が続かなくなって顔をあげた。
重い水の幕が頭から肩へと落ちて行く。
顔に垂れ下がる髪をかき揚げながら見上げると、無機質な白い夏の太陽がじりじりと空を焦がしていた。

太陽は、きっとあたしと似てる。
普段は全然傷付かないような顔をして、いつも変わらずにそこにいる。
明るくて、澄ましてて、誰にでも微笑んでいるようで、本当は誰も寄せつけない。
水を通して見たら、あんなにもキレイで、優しくて、可愛げがあるのに。
太陽があたしだけに見せてくれる顔。
誰も知らない、きっとあたしだけの秘密。

赤いとんぼが飛びはじめた。
空の色が濃くなった。
風の音が高くなった。
きっとあたしは誰より先に秋の匂いを感じ取る。
立秋。夏休みまっさかり。
みんなは早く涼しくなればいいとか、秋になればいいとか言ってるけど、あたしは違う。
秋になれば、あたしだけの魔法は終わってしまう。流れる汗をぬぐって秋の気配を追い払おうとしても、その足音はひたひたと近付いてくる。

水の向こうの透明な太陽は、少し傾いて、優しく笑う。
こうしている間は、嫌なことも全部忘れてしまえるのに。
水の外は、煩わしくて、味気なくて、渇いていて、退屈で。

そんなことを思っていると突然、金色の模様はちりぢりに砕けて、黒い影がその欠片を追い散らしていく。
「うわ、ごめん。こんなところに人がいるなんて気付かなかった。」
突然のことで、気管に入ってしまった水をげほげほと吐き出しているあたしの背中を、その男の子はとんとんと叩いてくれた。
「ごめ……けほっ、あ、あたしも、まさか……けほっ、」
こんなところを泳ぐ人がいるとは思わなかった、と続けようとしたけれど、喉がひっくりかえってしまいそうにむせてしまった。
とりあえず、とその子はあたしをプールサイドへとあがらせ、また背中を叩いてくれた。
「もう……大丈夫だから。」
ようやく咳も収まってそう言うと、その子は済まなそうな顔をして、立ち上がった。
「ホント、ごめん。これから気をつけるから。」

それから、その場所はあたしだけの指定席じゃなくなった。
今までみたいに没頭できなくなったけれど、それでもあたしは水の向こうの太陽を見に通った。
あの男の子もよく来ていたようだけれど、彼はいつもプールを何往復も泳いでいた。時折顔を合わすこともあったけれど、お互いにちょっと気まずい笑顔を向けた。

「いつも何してるの?」
そう話し掛けられたのはあまりに唐突だった。
「太陽見てるの。」
思わず答えてしまって、あたしは後悔した。これは、あたしだけの秘密だったのに。
「ふぅん。」
彼はそういうとどぷんと音をたてて潜った。
「キレイだね。キラキラして。」
たっぷり1分程潜ってから、彼はそう言って、笑った。

秘密の魔法は、秘密が破れたら解けてしまう。
それがおきまりだと思っていたんだけど。
そんなつもりはなかったけれど、誰かと秘密を共有するってこういうことだったのかな。
共有するために秘密を作るのじゃなくて、あたしだけの秘密を誰かに分けてあげるのって。
水の向こうの太陽は、なんだか恥ずかしそうに身をよじって、細やかな鼓動に身を震わせる。
そしてきらきらと細かい泡の向こうに身を隠して、その隙間からそっとこっちを覗き見る。
あたしだけじゃないから。他の誰かもこの世界を知っているから。
顔をあげると、オレンジ色の太陽が名残惜しげに首をかしげていた。

やがて秋が本当にやってきた。
町民プールも今日でプール収め。
「ちょっと寂しい?」
彼が今日も話し掛けて来た。
「うん……。」
たぶん、彼の言う寂しいとはちょっと違うけど。
もう、夏の間だけの魔法はおしまい。水の向こうの太陽ともお別れ。
「はい、これ。」
彼の言動はいつも唐突で脈絡がない。
「何?」
「あげる。」
それはつるつるに磨かれた、透明の塊だった。
「水晶だよ。……似てるでしょ?」
何に、と聞こうとして、でもすぐその必要がないことに気付いた。
それは、中に澄んだ水と太陽の光をぎゅっと詰め込んだ石。
つるんとした表面は不規則で柔らかな曲線を描いていて、少し傾ければゆらゆらと暖かい光が揺れる。
微笑んだり、はにかんだり、澄ましたり、おどけたり……表情を変えて、あたしを誘う。
思わず口元がほころんだのが、自分でもわかる。
「ねね、何か映ってない?」
彼は笑った。悪戯っぽく、無邪気に。小さい子どものように。
「何が?」
「オレの、気持ち。」
「何を……。」
言いかけて、言葉が消えた。
人の笑顔が、初めて眩しく見えた。





あとがき
あっこさまに222HIT記念にリクエストしていただきました。
テーマを見た時に思い浮かんだのが、なぜか「水」。
浅い海なんかに見える光の紋、そして(これこそ本当に何故か!)丸底フラスコのような容器に充たされた水。
「晃」という字は日の光と書くし、そういえば水晶の晶も日が三つ、しかも「アキ」と読むなぁ……などといろいろ考えたというか連想を弄んだ結果、こうなりました。
初めてリクを頂いた嬉しさも手伝って、ほとんど即興で書いてしまいました(汗)。
すごく思い入れのある言葉を頂いたのに、どれほど気に入っていただけるかわかりませんが、またリクしよう、という気になって頂ければ嬉しいです、

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