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1、 対の魔剣

 青々と繁る草が、山肌を駆け降りる風を受けて波打つ。細い亜麻色の髪を風になびかせて固く瞳を閉じ、少女は一心に呪文と思しき言葉を口ずさんでいた。まもなく少女の周りに、螢か夜光虫のような光点がいくつも浮かび上がる。
「……仄かに輝く、は星……の導き。守り、の座……を組みその力、我に示せ……。」
ときおり詰まり、流暢さに欠くものの、途切れることなく続く少女の言葉に答えるかのように光点はその輝きを増し、仲間を求めるかのように手を伸ばす。伸びた手は光点と光点を結び、少女を囲む幾重かの多角形を形作る。
「……そろそろ時間ね。」
 その様子を冷徹さのまざった眼差しで見つめていた黒髪の魔女は、そっと瞳を細めて軽く腕を持ち上げた。緩くウェーブのかかった漆黒の髪が、しなやかな風に舞う。
「風。この場を満たすもの。猛き旋律。波と化して押し寄せよ。」
 魔女の呪文は少女のそれに比して、短くシンプルで簡潔、かつ歯切れ良い。瞬時に周囲の空気は一変して渦巻き、少女の方へと容赦なく押し寄せる。荒れ狂う風が、華奢な少女を吹き飛ばすかと思われたその刹那、少女を囲んでいた陣形から目に見えない壁が立ち上る。それに弾かれるようにして、風は少女を避けて吹き抜けて行く。
 その壁は、魔力の干渉を阻む、一種の結界の役割をなんとか果たしてくれたらしい。
「……まあいいでしょう。ギリギリだけど。」
 アリアはにこりともせずにそう言うと、豊かな髪をかきあげた。ぺたりと地面に座り込んだ少女は、大きく肩を動かして安堵の息をつく。途端、少女を囲んでいた光点は霧散した。気づかうように、小さな風の精霊が少女の周りをふよふよと漂う。
「じゃあ最後に、いつもの。」
 続けざまに放たれた師の言葉に、アイリスは慌てて顔を上げた。いつか覗き見をしていたイブリースは「甘々」と評したが、それでも普段のアリアは充分に厳しい。特に呪文を扱う応用段階に入ってからは。
「はい、『血を以て力を御し、言霊を以て理(ことわり)を律し、名を以てものを制す』、です。」
さすがに何年にも渡って毎日言わされているだけあって、少女は「魔法の心得三箇条」を淀みなくすらすらと答えた。
 この言葉が示すように、魔法を使うための力、すなわち素質は魔女自身に属する。しかし、ただ力を行使するだけではできることはたかがしれている。せいぜいが、以前少女がやっていたように、木切れを飛ばすくらいのことだろう。実際的な力を引き出すには、呪文、すなわち言葉の力を借りなければならない。もちろん、ただめくらめっぽうに唱えれば良いというものでもないし、既成の呪文で全てが足りるというわけではない。きちんと森羅万象の摂理にのっとった上で、その状況に適した呪文を組まなければならない。
 言葉の中でも最も強制力を持つのがものの名前。呪文の中にうまく自分や相手の名前を組み込めば、魔法の威力を飛躍的に高めることも、相手を強く束縛することも可能になる。さらに、呪文のリズムが良かったり、韻を踏んでいたりすると効果はもっと高くなる。
 結局、魔女の力量というのは、本人の持つ力以上に、いかに状況に応じた呪文を上手く組めるかに依るのが大きいと言っても過言ではない。その基本となる三箇条なら、毎日毎日繰り返しても足りないくらいだ。
「……はい、よろしい。」
「じゃあ、あたしは水を汲みに行って来ます。」
 師の許しが出ると、少女はぱっと立ち上がった。魔法の練習が終われば、次は夕食の準備と決まっている。顔のすぐ近くに飛んでいた羽の生えた少女へとそっと手を伸ばす。ステラという名前の風の精霊はにっこりと微笑んでその手に留まったかと思うと、溶けるように姿を消した。
 軽く一礼してから走り出した少女の背中を見送って、アリアは小さく溜息をついた。
「まあまあ、と言ったところかしら……。怪我の功名というのはこのことね。」
 魔力を扱う基本の修業に費やしたのが5年、呪文を使う応用に入ってからが3年。14という少女の年齢と、魔法の修業を始めてからの年月を考えると、まあまあという評価はかなり厳しいものになる。アイリスとステラ、よっぽど相性が良かったのか、幼い未熟者同士の中途半端な契約がずいぶんと良い方に転がったらしい。
 その意味もわからず「マスター」と呼ばれることを拒んだアイリスのせいで、本来なら主従関係を結ぶはずの契約が、協力関係に近い形になってしまっている。「融合」という形態をとっているのに、ステラは自分の意志を失っていない。しかし結果として、自由を好む風の精霊は、己の感覚を最大限に活かしてアイリスの魔法をサポートしている。星の意の名前を戴いたステラは、自然界に作用する力のバランスや流れ、つまりは力場を読むのが上手い。アイリスは、ステラの導きを信頼し、また、その力をうまく引き出して心置きなく術を使える。
 先程の結界も、アリアは張り方など教えなかった。一口に結界と言っても、その原理は何種類も考えられる。一番単純なのは、魔力を文字どおり壁状に形作るもの。そこから応用を利かせれば、魔力による一種の気流のようなものを作り出して干渉してくる力を中和するもの、さらには空間を少し歪めて次元軸自体をずらし、一切の外界からの干渉を絶つものまで考えられる。アリアの与えた時間内でアイリスが考えたのは、場の力場を利用して、要所要所にわずかばかりの手を加えることによって、それを自分を囲む壁の形に加工し、向かってくる魔力を乱反射させて避けるという方法だった。これはステラの特技を最大限に活かした方法と言えるだろう。
 もともと利発なところがあり、応用力を持つ少女は、自身の実力以上の高度な結果を生み出す術を扱えるようになっていた。
「……まあ、あらゆる意外性に敬意を払え、というのはこのことね。身に沁みてわかったわ。」
 アリアは小さく物憂気に一人ごちた。
 ――それでも。
 アリアの胸には一抹の暗い雲がよぎる。
 母親がこの子を迎えに来るまで、あと4年。ただ贄として考えるなら、最上の贄に仕上がっただろう。けれど、自分の宿命と対決させるなら、どこまでの力量を身につけさせたらよいのかがわからない。アリアは封印や結界といった空間魔法を教えているし、幸いにしてそれはアイリスとも相性が良いらしい。これなら、かなり力で劣る相手にも対抗できるはずではある。それでも、相手の正体がわからないというのは落ち着かない。
 この時アリアは、自分の胸から離れない、形のない不安はそのためだとしか考えていなかった。


「よいしょっと……。」
 少女は小さくかけ声をかけ、泉の水を満たした桶を持ち上げた。澄み切った水は、ちゃぷりと跳ねて、アイリスの衣服を少しだけ濡らした。
 その両腕は、相変わらず白くて細かったけれど、水を運ぶのにもずいぶんと慣れた。
「あれ……。」
 ふと、わずかな違和感を感じて、空を見上げる。
「風が、騒いでる……?」
少女の呟きに答えるかのように、草木が葉音を鳴らした。いつしか吹き渡る風は肌寒いものとなり、稜線は茜色に染まり始めていた。山の落日は、速い。

 ウォルタ村。村はずれの小屋。
 バタン、とそれなりの重みのある音をたてて、分厚い本は閉じられた。長い年月を思わせる埃が小さく舞い上がり、夜の闇を赤く照らしているランプの炎は、ほの揺れる。よっぽど苛立ったのか、その表紙の上に手をおいたままで、クラウスは苦りきった顔をした。
「何語で書いてあるんだよ、これは……。もう少し子孫のことを考えて残してくれよ。こんなん読み終わる頃には俺たちジジイになっちまう。」
「ジジイって……。」
 小さな机を挟んで彼の正面に座っていたリヒァルトはぱちぱちと両目を瞬かせた。彼の前にも古びた書物が置かれている。
 魔剣について、村に伝わる伝承以上のことが何かわからないかと考えた二人がまずとりかかったのが、古書漁りだった。しかし、これがいざ始めてみるとすぐにとんでもない難作業であることが判明した。まず、古書自体が大量にあったのに加えて、その中身はほぼ間違いなく、この上なく難解な代物だった。何が書いてあるか見当さえつかないことも珍しくない。やっとのことで輪郭がつかめたと思ったら、それは植物の生態や薬効を記したものであったり、意味不明の錬金術の実験の手引きと思しきものであったり、果ては異国の古い歴史の記録らしきものであったりもした。全く、ウォルタ村の始祖、グレイグという人間はどんな趣味の持ち主だったのだろうか。
 もともと頭より先に身体の動くタイプのクラウスにとっては、それは苦行にも等しい作業であった。かといって表立って誰かに聞くわけにもいかず、他に方法も思い付かないとあっては、はがゆい思いをしながらも、読みにくい文字の海にまみれるより仕方ない。あまり村びとに怪しまれるわけにもいかないので、人目につかぬよう、夜を選んでいるというのも効率の悪さに拍車をかけた。それでも時間はたくさんあると思っているうちはまだ耐えられた。
 しかし、1年、2年と矢のように時間が飛んで行き、いつしか残り時間が半分になっているのにめぼしい収穫はない、ということになると、彼の焦りも苛立ちも、尤もだと言えた。
 ぶつぶつと文句を言いながら、再び本を開こうとして青年は手を止めた。相方の青年が、くすくすと笑い出したのに気付いたのだ。
「何かおかしいか、リッヒ。」
 クラウスは憮然とした顔でで抗議する。リヒァルトはほんの一瞬、驚いたかのように悪戯っぽく目を見開いてみせ、再びくすりと微笑んだ。
「だって、そんなクラウス、久し振りに見た。成人してから急に物静かになっちゃったんだもん。僕、ちょっと寂しかったんだからね。」
「……。」
 本気なのか冗談なのか。からかうような、そして少し甘えるようなリヒァルトの口調に、クラウスは思わず閉口した。
 確かに、一族の秘密を知ってから、幼馴染みに対して重すぎる秘密を持ってしまってから、クラウスの口数はめっきりと減った。リヒァルトと顔を合わせることも格段に少なくなった。何も知らない無邪気な彼に会うのは、気が重すぎたから。知らず知らずのうちに、彼を避けていたというのが正確だろう。
 リヒァルトにあの出来事を話すのは、この上なく苦く、重苦しかったが、同時にやっと秘密の呪縛から解放されて、クラウスは少しずつ彼本来の闊達さや屈託のなさを取り戻していた。
「まあ、メイラはまめに相手してくれたし、交易のついでに山あいの村で教えてもらって銀の鋳造覚えたんだけどね……。知ってる? メイラはああ見えて髪飾りとか作るのうまいんだよ。特に石の使い方が上手なんだ。」
 リヒァルトの珍しい饒舌に、クラウスはふと、以前彼が作っていた銀の髪飾りを思い出した。そういえば彼の感性はかなり女性的かもしれない。寄木細工を好んだラトキスも、繊細で柔らかく、暖かみのある作品をよく作っていたけれど、リヒァルトの作るものは繊細さに加えてどこか清廉で儚く、透き通るような少女を思わせる。
「……それはそうとさ。」
 クラウスはおもむろに口を挟んだ。いつもは飽きる様子もなく、真剣な顔をして古書とにらみ合っているのに、今夜はにこにこと笑いながら雑談に花を咲かせるリヒァルトに、少しばかりの訝しさが胸の中にわき上がる。
「結局、長さまから例の話は聞いたんだったよな?」
「……うん、聞いたよ。」
 無邪気な笑顔を浮かべていたリヒァルトの表情に、少しばかりの陰がさす。
「前から思ってたんだけどさ、こういうのって長の家系に口伝で伝えられたりするもんじゃないのか? リッヒは一応れっきとした跡継ぎだろ? もう成人もしてる。長さまから何かそういう話は聞けなかったのか?」
「僕もそう思って何度もそれとなく聞いたんだけど……、結局教えてもらったのはクラウスに聞いたことと同じで……。それ以上のことは『お前は何も心配することはない』の一点張り。」
「そうか……。」
 小さく溜息をついたリヒァルト以上に、クラウスは肩を落として落胆を露わにした。
「じゃあ仕方ないな。これと取っ組み合うしかないのか……。」
 眉をへの字に曲げて、忌わしき古書の表紙をつまみあげる。
「ふふふ。」
 その様子に、リヒァルトは今度は小さいながらも声をたてて笑う。
「よかった。」
「?」
 友人の口から突然涌いて出た、およそふさわしくない言葉に、クラウスは思わずぽかんと口を開けていた。
「……そっちの方がよっぽどクラウスらしい。」
「おい……。」
「僕は難しい顔して押し黙ってるクラウスより、今のクラウスの方が好きだよ。」
 クラウスが唖然としているのを気にとめる様子もなく、リヒァルトはにっこりと笑う。
「今日はもう遅いから帰るね。おやすみなさい。」
言うが早いが、もう立ち上がって扉に手をかけている。
「ちょっとリッヒ……。」
 事態が飲み込めないままに腰を浮かせたクラウスを制するかのように、リヒァルトは「おやすみなさい」と繰り返した。彼の開けたドアの向こうに顔を出した満月は、異様に大きく、血のように赤い。見慣れたはずの幼馴染みの笑顔に、言い様の知れない不吉さを感じながらも、クラウスはその背中を見送ることしかできなかった。

 山の中の村は夜が早い。闇の中にその姿を沈めた集落を、リヒァルトは静かに見渡した。自分が生まれ、育った村。その裏にどんなに血塗られた秘密があろうと、見慣れたこの村こそが、故郷であることにはかわりない。
 大きく一つ息を吐く。それは一種の感傷だろうか。どこか高ぶっているような心は、それでも何故か水面のように静かにも思えた。
青年は、そっと胸に手を当てる。服の上からその小さな固い塊を確認するかのように軽く押さえて、しばし目を伏せ、小さく呟く。
「ごめんね、クラウス。……ごめんなさい、叔父さん。」
ゆっくりと顔を上げると、リヒァルトは意を決したように静かに歩き始めた。緩やかに流れ行く陰の中で、山の間にほの見える赤い満月が、音もなく青年を追い掛ける。
 やがて、彼の前に魔剣へと続く深淵がぽっかりと口を開ける。青年は、ほんの一瞬足を止めたが、ほとんど躊躇うことなくその中へと足を踏み入れた。


 リヒァルトがレイノルドに呼ばれたのは、クラウスにラトキスの一件を聞いてからしばらく経ってのことだった。
 レイノルドは、いつものように分厚い机の座っていたが、少ししわが目につくようになった顔にわずかに疲れたような笑みを浮かべていた。
「済まなかったね、リヒァルト……。」
 言いながら、深い蒼の瞳が、惑うように宙を彷徨う。あたかも話の端緒がそこに漂っているかのように。
「叔父さん……。」
 レイノルドの逡巡(しゅんじゅん)を悟って、リヒァルトは小さく溜息をついた。頼もしかった叔父の、迷う姿を見ていると、胸が締め付けられそうな、切ないような気分になる。
「おや。」
叔父の視線がリヒァルトの表情を捉え、そこに留まる。そして、一つ大きな息を吐き、諦念の笑みを浮かべる。
「そうか。もう知ってるんだな。」
「……はい。」
 リヒァルトがせがんだこととはいえ、クラウスが話したことが知れたら、彼に何らかの咎めがあるかもしれない。それでも偽りを言う気にはなれず、リヒァルトはしばしの沈黙の後に頷いた。
「……大きくなったな、リヒァルト。」
 不意に、レイノルドは感嘆したように息を吐き、柔和な、少し照れたような笑みを浮かべた。
「いや、ラグーシャとの交易を一人でやり遂げた時にも思っていたんだが……。リヒァルト、ラグーシャは良い村だろう?」
 その問いかけはあまりに唐突で、脈絡がなく、リヒァルトは思わず目を丸くして頷いた。その返事に嘘はなかったが。
「私が若い頃……、そう、16くらいの時だったかな……。この閉ざされた村が嫌で嫌で仕方なかったことがあってね……。必ず帰ってくるという条件付きで村の外に出してもらったことがあるんだ。」
 急に昔語りを始めた叔父の意図がつかめず、リヒァルトは苛立ちを感じて、わずかに唇を動かした。が、遠くを見つめるような懐かしむような青い眼差しに気付くと、口を出すことはなぜかはばかられた。
「当時は村の外に出たことのある者なんていなかった。なんて無謀なことを考えたんだと今なら思うところなんだがな……。自分は死ぬまでこの村を出ることはないのかと思うと、もう、掻き立てられるような気分になった。ただ、どうしても、一度でいいからあの山を越えてみたかったんだよ……。」
 若き日の想い出を紡ぐレイノルドの口元を、リヒァルトはじっと見つめていた。記憶に残る父のそれとよく似た濃茶の豊かな口ひげに、白いものが一筋二筋混じり始めたのはいつ頃だっただろうか?
「いざ、足を踏み入れてみると、道は恐ろしく険しかったけれど……、それでも外に出られたという満足感でいっぱいだった。山を一つ越え、二つ越えして、そして辿り着いたのがあの村だった。良い村だろう? 誰もが楽しそうで、笑いさざめいてた。見知らぬ人にも親切で、何より開放的で、自由があった。私はすぐに魅入られたよ……。結局、約束通りこの村に戻ってきたんだがね。」
 ふう、と一息ついて、レイノルドはますますその瞳を細めた。
「先代から長の地位を引き継いで、お前たち、5代目の子らが生まれて……。それでもあの村が、あの村の空気が忘れられずに、交易を続けたんだよ。それに、もうすぐ魔剣の束縛も終わるはず……。ずいぶん昔にも言ったが、お前たちは外の世界へと出て行くべき世代なのだから……。」
 ――アイリスは……!
 叔父の口調は訥々として変わらない。リヒァルトは、強く唇を噛んで、胸を押さえた。
「ラトキスには……、気の毒なことをした……が。」
 ――アイリスは、その中に入ってないのですか!? あの子だって……!
掠れる程の悲鳴にも似た叫びは、それでも声にならなかった。息が詰まりそうになりながら、リヒァルトは静かに瞳を臥せる叔父を、ただ見つめていた。
「……始祖は……、始祖は何に魔剣を?」
わずかに上ずった声で、押し上げてくる重い塊を違う言葉に変える。確かに心のどこかに抱いていた疑問ではあったけれど、今は意識の片隅にものぼっていなかったのに。
「わからないんだ……。グレイグ自身は、自分の我が侭だとしか伝えていない。」
 そんなリヒァルトの胸中にも気付かないかのように、レイノルドはそっと息をついた。
「ただ、およそ100年前の帝政崩壊……、この辺りも昔は帝国領だったらしいんだが……、エルンスト皇子が難攻不落の城塞都市と呼ばれていた帝都を落とした時、人外の力が働いていたんじゃないかとは言われている。時代的にも合致はするんだがね……。まあ結局のところは、わからないとしか言い様がないのだよ。それにこんな山の中の田舎じゃあ、帝政が崩壊しようがしまいが関係なかったろうしね。」
 そう言いおいて、レイノルドは不意に顔をあげ、リヒァルトを正面から見つめた。その口元が万感の思いに綻ぶ。
「それにしても……、大人としてのお前と話ができて本当に嬉しいよ……。こんな日が来るのを、ずっと楽しみに待っていた。」
その言葉にわずかな嘘が含まれていることにリヒァルトは気付いていたけれど、何も言わなかった。それを指摘することは、双方にとってあまりに残酷すぎたから。
「だから、魔剣のことは私に任せてくれないか? お前は……お前達は、何も、心配することはないんだよ。」
「……。」
 元より反論を許さぬつもりだったのか、リヒァルトの沈黙を諾ととったのか、レイノルドはやや強張った微笑みを残して立ち上がった。青年も、無言のままで席を立つ。
 この人の中にアイリスという名前の少女はいない。そう感じたリヒァルトには、口にすべき言葉はなかった。否、この人だけではない。ほとんどの村びとにとってもそれはあてはまる。存在するのはひとりの人間ではなく、ただの贄。人格を持たないただ死ぬためだけに生まれて来た存在。そして、それは決して他人事ではないから。鉛の塊を胸に呑み込んで、リヒァルトはただ唇を噛み締めていた。

 不意に見覚えのある青白い光が目に入った。その光の中に足を踏み入れると、途端に視界が開ける。その中央に、忌わしい黒い龍を認めて、リヒァルトは立ち止まった。懐の中に手を入れて、先程まで服の上から触れていた塊をそっと取り出す。
『……実は、対の魔剣というものが伝わっているんだよ……。』
 それだけを聞き出すのに、どれほどの時間がかかっただろう。毎年、交易の報告にかこつけて、やっとのことで叔父から引き出した結果が、彼の手の中で静かに鎮座していた。

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