むき出しになった岩肌の陰に沿うように、その城は建てられていた。明らかに来訪者を歓迎する雰囲気からは程遠い岩城に、アリアは躊躇することなく踏み込んだ。そのまま、まっすぐに目指すのは主人の間。
日光を拒む室内を、立ち並ぶ蝋燭の揺れる炎が赤く照らし出す。客人を幻惑するようなその光に目もくれず、アリアは正面を睨み付けた。
「これはこれはようこそいらっしゃいました、魔女アリア。」
城の主、ミシェルは艶然とした微笑みをたたえて自ら彼女を出迎えた。対照的にアリアの表情は一層険しくなる。
「貴方にそういう趣味があったとは知らなかったわ。」
「そういう趣味?」
とぼけて軽く首を傾げ、ミシェルはアリアの髪に手を伸ばした。ゆるく波を打つ闇色の髪が、艶やかに蝋燭の照り返しを受ける。ミシェルはわずかに目を細めると手の中の髪を見つめて、そっと親指で撫でた。そしてアリアの細い首筋にゆっくりと唇を近付ける。
「……つれないですね。挨拶くらいはいいでしょうに。」
彼女の白い肌に触れる寸前で弾かれ、ミシェルは見事な銀髪をかきあげると大袈裟に嘆息してみせた。
「貴方の戯れ言に付き合うために来たんじゃないわ。」
恨みがましげなミシェルを全く気にとめる様子もなく、アリアは冷ややかに言い放った。冴えた翡翠の瞳にはますます鋭い光が宿る。
「……なるほど。その様子じゃ、とぼけても無駄なようですね。」
ミシェルは端正な顔にほんの少し憂いを漂わせて、諦めたようにもう一度溜息をついた。そして、再び意味ありげな笑みを浮かべる。
「あの子は、私が育てた方がいいと思うのですがね。」
「……どういうつもり?」
アリアは、今度はあからさまに眦(まなじり)をつりあげた。声色も一段低いものへと変わる。
「一流の魔女に育ててみせますよ。貴女の時のように、ね。」
「……冗談じゃないわ。あの子は生まれながらの魔女じゃない。」
平然と言ってのけたミシェルに対し、アリアの声には怒気がこもっていた。それを聞き留めて、ミシェルは一瞬、細い眉を寄せた。笑みを消し、真顔になってアリアの顔をまっすぐに見据える。
「まさか貴女……。ことが終わったらあの子を普通の人間に戻すなどという甘いことを考えているのではないでしょうね?」
「……。」
アリアの沈黙を肯定と解し、吸血鬼はさらに声高に続けた。
「あの子は生まれながらの魔女じゃない……。なのに草木と心を通わせ風の声に耳を傾ける。これだけの感性を持った子が人の世界に耐えられると? 悪意や邪念、嫉妬、羨望の渦巻くあの世界になじめると、本当にお考えですか? それに……。いえ。」
ミシェルは一度言葉を切り、微かに瞳を伏せた。そして声のトーンを落とし、諭すような口調になる。
「魔女アリア。貴女はお美しいし、聡明です……。けれどもお若い。水晶ならぬ翡翠には未来は映らないでしょう。悪いことはいいません。あの子のことは私にお任せなさい。でないと……。」
再び視線を持ち上げて正面の女の顔を捉えた時、ミシェルの言葉は途切れていた。強い光の宿った凛とした翡翠の瞳。わずかに紅潮した色白の頬。額にかかった一筋の黒髪。そしてきりりと引き結んだ唇。白い肌の下にふつふつとたぎる怒りが女の顔に眩しい程の生気を与えていた。
それがどんなに渇望しても彼には手が届かないものであるからか。ほんの刹那、ミシェルは息を呑んでアリアの美しさにみとれていた。秀麗な容姿を持つ吸血鬼が、一瞬確かに人の女に見入った。
「……っ。」
突然、頬に激しい衝撃を受けてミシェルは2、3歩後ろによろめいた。揺れる視界を泳ぐ自分の銀髪がゆっくりとうなだれるのを見てからミシェルは静かに視線を戻した。まだ頬はばちばちと帯電している。
「……。」
アリアは、自分の放った魔法をミシェルが避けなかったことに若干動揺したのか、わずかに瞳を揺らしたが、口元はきつく結んだままだった。ミシェルの出方によっては第二撃をくり出す覚悟なのだろう。
ミシェルは再び大きな溜息をついた。
「……わかりました。私とて、貴女と張り合う程愚かではありませんよ……。あの子は貴女にお返ししましょう。」
軽く瞳を閉じ、頭を左右に振る。
「あの子はそっちの右の部屋……この城で唯一日の当たる部屋といえばおわかりでしょう。そこにいますから連れてお帰り下さい。……アリア。」
アイリスの居場所だけを聞いて無言のまま背をむけようとしたアリアを、ミシェルはやや躊躇いながら呼び止めた。
「一つお聞かせ下さい……。貴女にとってあの子は何ですか?」
「……弟子……かしらね。まだ魔女にはしてないけれど。」
アリアは物憂げに振り返ると、訝しげな顔をしつつも、短く答えた。
「そうですか……。おわかりとは思いますが、ゆめお忘れなきよう。」
「……。」
無言のままに踵を返したアリアの背中を見送り、ミシェルは大きく息を吐いて椅子に腰を下ろした。白い掌に折れた牙を吐き出すと、再び大きな溜息をついて、それをゆっくりと握りしめた。
「……でないと、貴女に待っているのは破滅、のみ……ですよ。」
闇に視線を彷徨わせ、先程言いそびれた台詞を小さく呟く。弛んだ手許からは、粉々に砕けた牙が零れ落ちた。
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