2、虹と星 |
そこは少年たちの育った村とは何もかもが違っていた。 |
「ねえラトキスさん、いつくらいにここ出れるの?」 散策から帰ってくるなりリヒァルトはそう尋ねた。 「ん?」 ラトキスは手を止めて少年の方へと顔を向ける。その顔にはわずかながら困惑の色が浮かんでいた。 「家が恋しくなったかい、リッヒ?」 「そういうわけじゃないけど……。」 「だったらゆっくりしていろいろ見て行ったらどうだい?荷物はたぶん遅くても明日中にはまとめてくれるだろうけど、こっちがね。」 言って青年は、村びとから預かったと思しき工芸品の方を視線で示した。それはたいして数も多くなかったが、メモ書きのようなものも置いていあるところから見るに、修理するものだけでなく新しく作る分もあるのだろう。 「僕、手伝うよ。……早く戻りたいんだ。」 「……。」 ラトキスはしげしげとリヒァルトの顔を眺めた。幼いながらも何か決意を秘めた顔だちに、刮目の思いを感じながら。 「戻ってメイラに確かめる。本当に僕に弟か妹ができたのか。」 ――そうじゃないとあのお爺さんに悪いから。 その言葉は口には出さなかったが、少年は小さな瓶をしっかりと握りしめた。 老人の好意に誠実でいたいという気持ちが、どちらかといえば控えめな、この幼い少年の背筋を伸ばしていた。 「……。」 ラトキスは大きく溜息をついて、目を閉じた。レイノルドはできるだけこの旅を引き延ばすことを望んでいた。今、その甥であるこの少年は自分の意志で真実を確認することを望んでいる。一人の大人の切実な願いと一人の子どもの真剣な望みの間で、青年は一人悩む。自分がどちらかを選ぶことにおこがましさを感じ、次にその感情自体を愚かしく思う。 ゆっくりとまぶたを持ち上げて、目の前の少年を瞳に映す。幼いとはいえ長の血統。この子は長の資格を持つ子ども。そう、選ぶ権利を持っているのは自分じゃない。 「わかった。じゃあ、手伝ってもらうよ。できるだけ早く仕上げよう。……でも丁寧にやってくれよ、気持ちを込めてな。」 無邪気に笑う少年を見て、ラトキスはどこか諦めと感嘆を含んだような複雑な笑みを浮かべた。 「仕方ないなぁ。じゃあ俺も手伝うよ。」 それまで二人の会話を少し離れたところで聞いていたクラウスが、頭をかきながら面倒臭そうな口調で言った。彼なりの照れ隠しなのだろう。 「ありがとう、ありがとう、クラウス。」 「お、おい、やめろよ、リッヒ。」 けれどもせっかくのポーズも抱き着かんばかりに喜ぶ少年の前では無駄というものだった。 「クラウスも手伝ってくれるのか、そりゃ助かるな。」 「ああああ、俺、こう見えても手先器用なのに。」 青年の軽い揶揄(やゆ)に大袈裟なまでに反応して、クラウスは頬を膨らませた。 結局三人はきっちり翌々日の朝にラグーシャの村を発った。そして、行きに費やしたのよりはるかに少ない日数でウォルタの村に帰り着いた。 「お帰りなさい、坊ちゃん。ずいぶん早かったんですね。」 村に帰り着くなり二人に別れを告げて自分の家に戻ったリヒァルトを迎えたのは、メイラのどこか複雑な笑顔だった。 「あ、ただいま。」 言い忘れていた挨拶を口にすると、少年は待ち切れずに本題に入る。 「ねぇメイラ、僕に弟ができたって本当?」 「え? い、いえ、違いますよ。弟じゃありま……ああああ!!」 あまりに出し抜けな質問に目を白黒させながら答えたメイラは、すぐに自分のとんでもない失言に気付き、真っ青になった。 「女の子?じゃあ、妹?僕の妹?」 「え? え? それは……。」 哀れなメイラは顔面蒼白のままで口をぱくぱくと動かした。 「ねぇ、どこにいるの? 会えないの? 僕、お土産もって帰ってきたんだよ? 会いたいよ。」 そんな彼女に様子に構うことなく、無垢な少年は残酷なまでに無邪気に詰め寄った。 「でも……。」 「お願い。」 メイラは苦しげに大きく胸で息をして、後ろを向いてしまった。少年から隠れたその顔はほとんど泣き出しそうだった。 「わかりました、坊ちゃん。ついてきて下さい。」 「うん。」 リヒァルトは喜びに瞳を輝かせて大きく頷いた。メイラが、足早に歩き始めながらこっそりと目頭を拭ったのには気付かなかった。 メイラが向かったのは村の外れの方だった。彼女の足の進め方はいつになく速く、リヒァルトは小走りになりかけながら遅れないように追い掛ける。けれど、その口元には自然と笑みが浮かんでくる。 「おやどうしたんだい、リッヒ。ずいぶんと嬉しそうだね。」 通りすがりの村人がそんな少年をみとがめてか、声をかけてきた。 「うん。僕に妹ができたんだよ。」 じっと前だけを見て歩いているメイラはこちらに気付く様子もない。リヒァルトは早口でそれだけ答えると、相手の反応を待つことなく慌てて彼女の後を追った。 村人はリヒァルトの後ろ姿を呆然と見送っていたが、すぐに我に帰って村の方へと猛然と走りはじめた。 山肌に隠れるように建てられた小さな小屋の戸を、メイラはほとほとと叩いた。そしてゆっくりと開ける。 「……申し訳ありません。レイノルドさま。」 「あれほど……この子には知らせるなと……。」 中にいた男は、赤毛の女の後ろに息を弾ませた少年がいるのに気付くと、苦しげな顔をして小さくそうもらした。なんだかすごく悪いことをしてしまったような気がして、リヒァルトは玄関口に立ちすくんだ。 「えっと……僕……。」 困惑に縛られて唇に乗せる言葉もみつからない少年の呪縛を解いたのは、部屋の奥から聞こえた懐かしい声だった。 「リヒァルトがいるの?……ほら、こっちにいらっしゃい。」 「おかあさん……。」 柔らかい声に引っ張られるように、少年は部屋の奥へと進んだ。そこには赤ん坊を抱いたレイシアが座っていた。 「ごめんなさいね、寂しかったでしょう?」 「ううん。」 リヒァルトはぷるぷると首を振ると、母親の腕の中を覗き込んだ。 「ねぇお母さん、この子、僕の妹?」 「……そうよ。」 ぱあっと少年の顔にみるみる笑顔が広がっていく。 「ねぇおかあさん、僕、お土産もって帰ってきたんだよ。これ、赤ちゃんのお守りなんだって。」 二人のやりとりを傍らで見ていたメイラは、唇を噛んで踵を返した。とても見ていられなかった。外へ出ようとしたその足がぴたりと止まる。 「ここにいるんだろう? 赤ん坊は。」 玄関には、目を血走らせた数人の村びとがつめかけ、素早く小屋の中へと視線を走らせていた。 「何を……。」 抗議をしようとしたメイラを押し退け、彼等は中へと踏み込んできて、レイシアを、正確にはその腕の中の赤ん坊を取り囲んだ。レイシアは身を堅くして、赤子を抱く腕に力を込めた。 「長さまもいらしたか、ちょうどいい。早いうちに済ませてしまいましょうや。」 「もうアンドルフさんも亡くなったんだ。この子が末っ子に違いない。」 「そうよ。早いうちにしてしまった方がこの子のためにもいいわよ。」 「もう、うんざりなんだ。早く解放されたいんだよ。」 自分を無視して頭の上を飛び交う数々の怒号に、わけもわからずリヒァルトは小さくなって母の腕にしがみついた。 「止めないか!子どもの前で!」 レイノルドの一喝で一瞬水を打ったかのように、ぴたりとその場は静まり返る。 「けど、長さま……。」 再び一人の村びとが口を切ろうとしたその時だった。 「ふ……あ……。」 緊迫した雰囲気を全く意に介さぬようなのんきな声をあげて、それまで眠っていた赤ん坊が目を開いた。そしてぱちぱちと瞬きをして、村びとたちを見つめた。その瞳は、紫のかかった淡い青色をしていて、まるで雨上がりの大気のように、透明な湿り気を帯びていた。 「あら、起きちゃったのね、アイリス。」 その声に反応するかのように、赤ん坊は大きな瞳を母親へと向けた。愛らしい唇を半分だけ開ける。 「……。」 その様子にすっかり気勢を削がれ、村びとたちは一人ずつ外へと出て行った。 「リヒァルト。」 最後尾の女がふと立ち止まって少年を振り返った。 「その子に感謝するんだよ。その子はお前の……。」 「サラ!」 レイノルドの咎めるような声に、女は息を飲んだ。そして苦々しい顔を少年に向け、くるりと背を向けて立ち去った。 リヒァルトはただ立ち尽くすしかなかった。誰にも何もきけなかった。そんな兄の姿を、小さな妹は少し首をかしげて見つめていた。 |
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