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プロローグ

 降りしきる湿った大きな雪が、視界をまだらに遮っていた。
 山肌にぽっかりと開いた穴を前に、それまで黙々と歩を進めていた行列は足を止めた。
「リヒァルト。」
 母親に促され、少年は顔をあげた。その持ち主がまだ年端もいかぬことを物語る柔らかい頬は、寒さで朱に染まっていた。
「あなたはここでお父さんにお別れをなさい。」
 雪に吸い込まれそうなほどに静かな女の声に応えて、少年の前で棺のふたが開けられる。
 少年は堅く拳を握りしめると、そっと中を覗く。
 瞳を閉じた父親の真っ白な顔は、少年の見なれたものとは全く違っていて、まるで作り物のようだった。 もし「これはお父さんじゃない」と叫べばそれが真実になるかと思える程に。
「お父さん……。」
 確認するかのように小さく呟いた言葉は、少年の心を上滑りしていったが、それでも瞳の奥が熱くなった。
 冷たくなったその身体にすがりつきたい思いが一瞬少年の胸にわき上がってくる。しかし、それを行動に移すには、彼は少しばかり分別を知り過ぎていた。
「……。」
 その代わりに広い額にそっとくちづけた。別れの言葉を唇にのせるには、少年はまだ幼すぎた。
 一歩後ずさると、少年が見つめる前で、優しかった父親の顔は永遠に厚い板の向こうへと隠されていった。
「クラウス、リヒァルトをお願いね。」
 女は少年の傍らに立っていた年嵩(としかさ)の少年に声をかけた。
「はい。」
 少年がしっかりと頷くのを見届けて、女は二人に背を向けた。すでに行列は動き始め、暗い穴の中へと吸い込まれつつあった。
 女が背を向けてなお、最後尾についていた青年は二人の方を向いたままだった。物憂げに軽く伏せられた深い鳶色の瞳を少年たちに向け、彼はわずかに唇を動かそうとして、止めた。自分には少年にかけてやれる言葉を持ち合わせていないことが嫌というほどわかっていたから。その代わりにゆっくりと柔らかな視線をリヒァルトに、ついでクラウスへと投げる。
「……大丈夫だよ、ラトキスさん。」
 唇を閉ざしたままの少年の代わりに、精一杯殊勝な顔をしたクラウスが応えた。青年は口元にほんの少しだけ優しげな笑みを浮かべ、小さく頷いて踵を返した。
 ここから先は子どもが立ち入ることは許されていない。それがこの村の掟。そして一月前にラトキスが「大人」になってから、この村の「子ども」はリヒァルトとクラウスの二人だけだった。
「……戻ろうか。」
 村びとたちの姿が完全に闇の中に消えたのを確認して、クラウスはリヒァルトに声をかけた。
「……。」
 リヒァルトは口を堅く一文字に結んだまま、小さく首を横に振った。ここで待っていなければ父親だけじゃなくて母親も還ってこない。なぜかそんな気がした。
「……そうか。じゃあここで待っていよう。」
 クラウスは弟分の少年の髪にかかった雪をやさしく払い落とすと、小さな肩をしっかりと抱いた。
「……っ。」
 分厚い毛皮ごしにしっかりした感触と暖かみが伝わってきて、少年は初めて嗚咽をもらした。
 雪は少年の嗚咽を飲み込んでしんしんと降り続いた。


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