top 

幕間1



「アルトナ−将軍、少し供をしてくれないか?」
 さも大事な用事でもあるかのように、しごく神妙な顔をしてはいるが、皇帝がこう言い出した時には、たいてい息抜きに付き合えという意味である。
「かしこまりました。参りましょう。」
 長い付き合いですっかり心得ているアルトナーも、真顔で畏まると、皇帝はにやりと笑った。
「では、いくか。」

 帝都から少し離れた小高い丘に着くと、皇帝は馬から下りてごろりと横になった。アルトナーもその隣に腰を下ろす。
 晴れ渡った空はどこまで青く、暖かな陽を浴びて柔らかな草はさやさやと揺れた。向こうの方では、子どもたちが楽しそうに遊んでいるし、2人が乗ってきた馬たちも、のんびりと草を食みはじめる。
 まるで慌ただしい帝都での日々が嘘であるかのように、ここでは暖かな陽光と風に守られて、ゆったりと時が流れていた。
 皇帝が職務の合間に、ここに息抜きに来るようになったのはいつ頃からだったろうか。
「……ハインツが隠居したいと言ってきているそうだな。」
 遠い空を眺めながら、皇帝がぽつりと口にした。皇宮を離れても、なかなか公務のことが頭を離れないらしい。
「ええ、身体の調子が思わしくないからと、リヒタ−将軍より聞いております。息子のアルフレートに家督を譲りたい、と……。」
 アルトナーが答えると、皇帝は溜息をついた。
「そうか……。あの養子にとった息子か。いくつくらいだ?」
「確か、26くらいだったかと。」
「若いな。ハインツもまだ若いだろうに……。残念だな。」
 それだけ言うと、皇帝は言葉を切り、黙り込んだ。再び静かな時間が流れ出す。
「アドルフ。」
 ぼんやりと思索に耽ろうとしたアルトナーを、皇帝がおもむろに呼んだ。息を大きく吐きながら身体を起こすと、上体だけで大きく伸びをする。
「娘御はいくつになった?」
「アイリスですか? 16になりました。」
 唐突に皇帝が脈絡のないことを尋ねるのも、もう慣れたこと。アルトナーは気にするでもなく、さらりと答える。
「そうか、さぞ娘らしくなったことだろう。」
 くつくつと皇帝が喉の奥で笑えば、アルトナーは憮然とした顔をする。わかっていてこういうことを聞くのだ、この男は。
「とんでもありません。相変わらずのじゃじゃ馬っぷりで……。このままでは嫁のもらい手が……。」
「何を言う。人にやる気もないくせに。本当はほっとしているのだろう?」
「そんなことは……。そりゃあ、並の男にはやれませんが……。」
「ジークにならやってもよい、か。それはお前、娘をやってもよい、ではなくてジークも息子に欲しい、の間違いだろう、欲張りなやつめ。」
「……。」
 すっかり憮然としてしまったアルトナーをからかうのが楽しいらしく、皇帝は眩しそうに空を見上げて小さな笑い声をあげた。
「まあ、アイリス嬢が勇猛なのは仕方ないさ。父親がお前なのだから。」
「何をおっしゃいます。あれは父親ではなく伯父上に似たのです。」
 言われっぱなしでは割に合わないと思ったのか、アルトナーは反撃に転じた。そう、娘の放蕩ぶりはいつもいつも、この年下の義兄を連想させるのだ。やることが国を巻き込むレベルに発展しない分だけ、かわいいものだと言えなくもないが、父親としてはそうも楽観視してはいられない。
「まったく、陛下が分別をお知りになったと思えば、今度はわが子にこれほど手を焼くとは……。」
 もはや数年前からの口癖となった嫌味を続けたはずが、いつの間にか溜息まじりの愚痴になる。これには、さすがの皇帝も苦笑いを漏らした。
「ああ、お前には子どもの頃から苦労をかけたな。……髪は大丈夫か? 禿げたら俺のせいだな。まあ、心配するな、腕のよいかつら職人を探してやるさ。」
 ほんの一瞬、神妙な顔をしてみせると、皇帝は白いものの混じり始めたアルトナーの頭へと手を伸ばした。アイスブルーの瞳の奥には、やはりからかうような光が宿っている。
「……。」
 無言のままで、アルトナーは自分の髪へとそっと手を伸ばした。それほど気にしなければならない事態にはなっていないはずだ。
「ふふ、まあ、アイリス嬢にお前の跡を継いで将軍になってもらうのもいいかもな。剣も馬術も男並みだと聞くし、ただでさえ女というものは我ら男よりもずっと強いからな。」
「陛下!……笑えない冗談はおやめください。」
 冗談とも本気ともつかない口調で呟いた皇帝に、アルトナーは思わず大声をあげていた。ごまかすように穏やかな口調で続けたものの、どうしてもむっとした色が混じる。
「冗談だ、まあそう怒るな。……そうか、ダメか。いずれ、将軍や皇帝を女が勤めるのもよいと思ったんだがな……。それにしてもアイリス嬢が16か。ではセレスは15になるな。」
 苦笑まじりに息を吐き、言葉の後半は独り言まじりに呟くと、皇帝は再び空へと視線を投げた。赤い髪が風に吹かれて、わずかに揺れる。アルトナーも小さく息を吐くと、遠くへと目を遣った。ちらりと皇帝の横顔を振り返る。
 穏やかな、それでいてどこか諦めたような、懐かしむような顔。皇帝がこのような顔をする時には、物思いに耽っている時だ。すぐに行動に出ていた若い頃の彼からは想像もできないことではある。
 おそらくは、悲劇を招いた2回の結婚と皇妃のことや、繰り返した戦のことを考えているのだろう。そう心得ているアルトナーは、彼が思索にふけっている時には邪魔をしないことにしている。
 確かに、若い頃の皇帝ゲルハルトは血の気にはやり、無謀とも横暴ともとれる行動が目立ったし、多くの失敗を犯した。たくさんの哀しみと恨みを生み出したし、挙げ句の果てには皇妃を失いさえした。
 けれど、帝都の改革に成功したのもまた、彼のその行動力ゆえであるし、何より失敗を自らの糧にできたのは間違いなく皇帝の度量だろう。
「……ではそろそろ戻るか、アルトナ−将軍。」
 おもむろに立ち上がり、皇帝は伸びをした。彼の意図を察して、愛馬が近寄って来る。
「……お前は大事にしろよ、アドルフ。」
 あぶみへと足をかけながら、皇帝は聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。
 彼の父親、つまり前帝は、息子が赤い髪をもって生まれてきたが故に彼を疎んじ、遠ざけた。妻の不義を疑い、一時は彼を廃嫡しようとさえしたくらいだ。彼の若い時分の行動も、父との不仲と無関係ではないだろう。
 だからこそ、自分の子は大切にしようとしていたのをアルトナーは知っていたが、残念ながらそれは叶わなかった。だからこそ、ことあるごとにアルトナーに娘のことを聞くのだ。
 きっと、皇帝は自分の妻子を大切にする方法など知らなかったのだろう。そう思えば、なんともやりきれない。アルトナーは口の中だけで返事を返し、自分の馬にまたがった。
 帝都へと向けて馬を数歩進め、皇帝はおもむろに振り向いた。さんさんと降り注ぐ陽光の下、柔らかな草がさやさやと揺れる。遊んでいた子どもたちの姿はいつの間にか消えていた。
「陛下。いかがなさいました?」
「ああ、すぐに行く。」
 先を行くアルトナーに答えておいて、皇帝は再び丘を見遣る。
「ここまで来たよ、テレーゼ。」
 かすかに懐古にも似た表情を浮かべて、皇帝は吐息に混ぜて小さく呟いた。軽く目を細めれば、吹き渡る爽やかな風が、優しく彼の髪を揺らした。


   

top 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送