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4、黄昏の王国

 ちょうど、出来の悪い絵画でも見ているような感じだった。確かに目には入っているのに、頭の中でははっきりとした像を結ばない。
 とろとろとした意識の中で身じろぎしようとして、グレイグは危うく悲鳴をあげそうになった。体中がきしむように痛んで、一瞬、身をすくませる。
 そろそろと身体を起こした頃には、頭もすっきりしてくる。考えてみれば、帝都を発ってから3日、ほとんど眠っていなかったのだ。
 薄明るい部屋の中に視線をさまよわせる。隣の寝台に、連れの少年の姿はなかった。痛む身体をさするようにして窓辺に立つと、既に日は高く昇っていた。
 慌てて軽く身繕いを整えて、部屋を出る。折しも、部屋の前を通りがかった侍女が、連れの子どもたち2人は先に国王の私室に行っている、と教えてくれた。
 軽い溜息をつき、グレイグは昨日の部屋へと向かった。許可を得て中に入り、青年はほんの一瞬、目を丸くした。
 今日はカーテンを開け気味にしているのか、柔らかな光が差し込む中で、老王と2人の子どもたちが楽しげに談笑していた。王の表情も、エルンストとエマのそれも、ずいぶんと柔らかい。
 その和やかさに、ふと帝都を思い出し、グレイグは入り口すぐのところで足を止めた。老人と子どもが楽しそうに談笑する光景は、少し前のリオルでは、どこででも見られたものだった。スラムの焼け落ちた今も、それは変わっていないのだろうか。そして、そんな当たり前のことが許されない立場になってしまった少年のことを思えば、きりりと胸が痛む。
「なんだ、もう起きたのか。もっと寝ていてもよかったものを。」
 青年の姿に気づいた王が、孫とのひとときを邪魔されたとばかり、片眉を持ち上げてみせた。
「陛下……。」
 返事に困ったグレイグが戸惑いの色を浮かべると、王はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「さて、コルツを呼ぶのだったな。若いが実直な男だ。何かと力になってくれるだろう。」
 言うが早いがベルを鳴らして侍女を呼び、用事を言いつける。」
 ほどなくして丁寧なノックの音が聞こえ、30過ぎくらいの男が顔を出した。背はさほど高くなく、顔の造作も、茶髪、茶目と相まってか、やややぼったい印象を受けるが、確かに王の言う通り、堅実さと実直さがにじみ出ていた。ともすれば、老けて見えがちな顔立ちをしているので、実際にはもう少し若いのかもしれない。
 とまれ、華やかさはないものの、たいていの人間は彼を信頼できる人物だと判断するだろう。そんな人に好感を持たせるような雰囲気をまとった男だった。
「呼びつけて済まなかったな、実はそなたに頼み事がある。」
 前置きもそこそこに、王は事情をかいつまんで話した。コルツは、驚いたように目を見開いたり、痛わしげに眉を寄せたりしながらも、黙って王の話を聞いていた。エルンストの出自についても、疑う様子を見せなかった。それはあたかも、王自身が認めているなら、それに自分が口を挟むことではないとでも信じているかのようだった。
「わかりました。それなら私がレグレス領までご案内致しましょう。出立は急いだ方がよろしいですね。」
「ああ、頼む。馬車と荷物は昨日のうちに用意させている。済まないな、王都に戻って来たかと思えばすぐにレグレスに舞い戻ってもらうことになって。」
「いいえ。王都での仕事はもう済みましたので。それに……。」
 王のねぎらいに頭を下げた後で、コルツは言いよどむように付け加えた。
「どうした?」
「リオルのことで、気になる噂があります。今朝、リオルから戻った商人が言うには、ゲルハルト帝が崩御して、その葬儀と同時に皇太子セレスが自ら戴冠したとか。」
「葬儀と同時に戴冠? そんな強硬な!」
 思わず声を上げたグレイグの方を振り返り、コルツも頷いてみせた。
「ええ、だから私もただの噂だろうと思っていたのです。ですが、今の話を聞いていると……。」
「……。」
 王も、渋い顔をして黙り込んだ。
 確かに、これが事実ならエスラントにとっては大問題に発展する可能性が高い。
 もともと、エスラントは純血を重んじ、人種、血統による厳しい階級制を敷いていた。領土が広がり、戦火の届かない地が増えるにつれて、上層部はいくさから離れて優雅な暮らしを送り、混血や先住民族たちは前線に駆り出されていつ終わるともしれない戦いに明け暮れる、という構図ができていった。
 そして、カッセーレ族を西の大河の向こうに追いやった時には、この2者の境界はくっきりと分かれていた。もともとは傭兵部隊を束ねる隊長だった混血氏族のカイザーが、他の氏族をまとめあげ、帝国リオルの独立を宣言したのもこの頃だった。
 すでにいくさを離れてずいぶんな時が経っていたエスラント上層部に、この気運を抑え込む力などあるはずもなく、国土の半分を帝国領とするリオルの独立を認めざるを得なかった。エスラント王女とリオル皇帝の婚姻を条件に、自国を宗主国とさせる形で体面を保つのがやっとだったのだ。
 リオル側にしてみれば、独立を認めさせただけで十分という雰囲気があったし、皇家にエスラント王族の血が入るのはまんざらでもなかったようだった。独立後の国家運営を考えると、皇家に特別の血統がないのは泣き所になりかねない、という打算もはたらいたのだろう。
 一方で、エスラントにとっては、王女の子息を皇帝にすることで、リオルがエスラントに牙をむかないようにするのに加えて、リオル皇家を特別扱いすることによって、皇家と他の地方氏族との結束にくさびを打ち込もうという思惑があった。
 エスラントとリオル、宗主国と騎士国の関係は、微妙な均衡の上に成り立っていたのだ。   

 

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