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4、セレス戴冠

 広間には、胸元に喪章をつけた重臣たちがひしめきあっていた。どの顔も沈痛な面持ちを浮かべては広間の奥に安置されている棺へと目を遣り、隣の者とひそひそと言葉を交わしていた。
 ジークムントは入り口に立っていた兵士から喪章を受け取ると、静かに広間に中へと足を踏み入れた。
 ふと、沈んだ表情を浮かべる群集の中で、独り薄い笑みを浮かべたリヒターと視線がぶつかる。リヒターの方は、意味ありげに唇の端を歪めて見せたが、ジークムントは気付かぬ振りを決め込んだ。ほんのわずか、瞳を左にずらせば、この将軍の姿は視界の外へと消える。
 不意にざわめきが止み、場は静まり返った。奥の扉が開き、正装の皇太子が姿を現したのだ。水を打ったような静寂の中、この少年の靴音だけが高く響く。
 重臣たちの前まで進み出たセレスは、足を止めてほんのわずかオリーブグリーンの瞳を細めた。薄い唇を引き結んだまま、ぐるりと一同を見回す。
「皆、今日はよく集まってくれた。父は皆のような臣下に恵まれて幸せだったろう。」
 決して大きくはないが、よく通る高い声でセレスが話し始めると、ある者はうつむいて唇を噛み、ある者はそっと啜り泣きを漏らした。
「父が名を成せたのも、皆があってのこと。父も死しても皆のことを忘れまい。これからもリオルのために尽力願いたい。」
 セレスは言葉を切ると、神妙な面持ちの重臣たちを再び見渡した。誰もが先帝の死を悼み、沈痛な空気が重く沈んで張り詰めている。セレスは再びもの思わしげに軽く目を細めると、一つ息を吐いた。
「では、これより偉大な名君であった先帝を送り、この場で私が皇位に就く。」
 次に響き渡ったセレスの伶俐な声に、場内はどよめいた。形にならない驚きと非難とが、泡のように湧き上がる。
「しかし殿下、帝冠は宗主国エスラントの国王陛下より賜るのが筋でございます。」
 ついに、重臣の1人が声を上げた。
 これだから、カッセーレの皇子は礼儀を知らない。
 慇懃な口調の中にそんな嘲りが暗に含まれていることを敏感に感じ取り、セレスは薄い唇の端をほんのわずか歪めた。
「先帝のはたらきにより、この国は豊かになった。」
 が、怒りの代わりに、気付かれない程度の嘲りと皮肉を滲ませて、セレスはゆっくりと口を開いた。
「この都を見るが良い。エスラントの王都にも劣らぬ、いや、それ以上の繁栄を見せているではないか。国の力でエスラントを上回りながら、なぜかしずかねばならぬ。帝国を名乗りながら、なぜ他国の顔色を伺わねばならぬ。古い習慣に縛られて、エスラントにひざまずく必要などあるまい。」
 セレスは一言一言区切りながら語りかけ、伶俐な眼差しで一同を見回す。オリーブグリーンの瞳は、ますます冷たい光を帯びた。響き渡る彼の声に水を打ったように静まり返っていた場内は、セレスの言葉が終わった途端、再びざわめいた。
 驚き、非難、感嘆、様々な響きの混じったざわめきは、次第に熱を増し、その響きを変えていった。
 確かに、セレスの言葉は正しかった。もともと傭兵隊長であった皇帝の立てたリオルの軍事力は、確実にエスラントのそれを上回っていたし、ゲルハルトの政策によって発展をみた帝都の民の暮らしぶりは、エスラントの民よりも豊かであると言えた。国力としても、もはやリオルはエスラントを追いこしたと言っても間違いない。
 なのに、ただリオルの帝家がエスラントの王家に血統で劣るというだけで、いまだにリオルはエスラントを宗主国としなければならない。エスラントと対等の地位を手に入れるのは、リオルの貴族たちの悲願であるとさえ言えた。
 セレスの言葉は、リオルの人間なら誰しもが多かれ少なかれエスラントに対して抱いている、嫉妬や羨望、反感を見事に言い当てていたのだ。
 場内のざわめきは徐々にうねりながら、興奮を強め、賛意の色へと染まりつつあった。
 エスラントの王女を母とする歴代の皇帝とは違い、セレスならエスラントに対して一歩引く必要もない。今の国力があり、彼が皇帝となるなら、エスラントと対等の地位を実現することができるかもしれない。先程のセレスの言葉は重臣たちにそう思わせるのに、充分だった。
 ざわめきは徐々に収まり、居並んだ重臣たちは、正面のセレスの方に向き直ると、一様に姿勢を正した。誰が合図をすることもなく、水平に腕を曲げ、拳を胸に当てて、新帝への忠誠を誓う。
 セレスが満足げに頷いてみせると、重臣たちは片膝をついた。流れるように自然な動きの中、セレスは自ら帝冠を頭に戴いた。冷ややかにも見える瞳を細め、跪く臣下たちを見下ろして、小さく息をつく。
「……ジーク。ジークムント・ハウゼン。」
「……はい。」
 セレスに呼ばれ、ジークムントが顔をあげる。途端、水面に細かい波紋が走るように、周囲に緊張が走ったが、セレスは構わず手招きをした。ジークムントはそれに従い、静かに前に進み出た。
「お前に私の補佐を命じる。励んでくれ。」
 その言葉に、あちこちから羨望と諦めの混じったような溜息が漏れた。セレスの言葉は、ジークムントをアルトナーの後の大将軍に任じたにほぼ等しい。幼い頃から身の回りの世話をしてきたジークムントをセレスがひいきにしているのは公然の事実だった。が、それを差し引いても「よそもの」の彼がそれだけの実力を持っているのは、誰も認めないわけにはいかなかった。
「……はい。」
 そんな周囲の思いを知ってか知らでか、ジークムントはただ短く返事をしただけだった。リヒターが射るような眼差しで彼を睨んでいたが、気付かないのか、振り向きさえしなかった。
「では、先帝の葬儀を始める。皆、準備をしてくれ。」
 セレスの言葉で、各々は敬礼をすると、自分の持ち場へと去って行った。

「お疲れさまでございました、皇帝陛下。」
 帝都の民たちへの前帝の崩御の知らせと自らの即位の宣言を終えたセレスをジークムントは丁重にねぎらった。前帝を讃え、エスラントからの実質的な独立を誓ったセレスの演説は、涙にくれていた民衆に、静かに受け入れられたようだった。
 セレスは、ふと出てきたばかりのテラスを振り返る。しめやかに行われた葬儀が終わり、軍旗に覆われた棺を見送ってからも、城門前に並んだ民衆は立ち去ろうとはしていない。
「皇帝陛下、か……。」
 セレスは軽く眉を寄せて小声で呟くと、足早にその場を去った。

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