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「父だと?」
 ジークムントの言葉に、セレスの顔にみるみる憎しみの色が広がった。
「あいつに葬儀などいらぬ。野の獣にでもくれてやればいいのだ。」
「殿下。」
 なだめるように口にしたジークムントに、セレスはますます口調を激しいものへと変える。
「あの男はっ、皇位継承権に関する法を変えようとしていた! あいつは、私を皇太子にしておきながら、廃嫡でもするつもりだったんだ! お気に入りの義弟か金髪の姪にでも皇位を譲ろうとしていたんだろうよ。だから指環だって……。」
 頬を真っ赤に染め、荒々しく肩で息をしながら、セレスはまるで憎い父親を目の前にしているかのように、ジークムントを睨み付けた。
 その視線から逃れるように、ジークムントは灰色の瞳をすっと伏せた。静かに息を吐き、ゆっくりと口を開く。
「殿下。……決してそんなことはありません。陛下はあなたに皇位をお譲りになる気持ちに変わりはなかったはずです。」
「じゃあ何故!」
「殿下。」
 口調も荒く、ほとんど叫ぶように言い募ったセレスは、ジークムントの静かな、けれど断固とした短い言葉に、ぐっと黙り込んだ。
「殿下。……あなたは、皇位継承者です。たとえ、お父上を憎んでおられても……、前帝をお見送りするのがあなたの勤めです。」
 一瞬、言葉を選ぶように言い淀んだ後で、ジークムントは説教めかすでもなく、静かに言葉を続けた。
「……ならば葬儀のついでに戴冠も済ませてやるさ。」
 セレスは不服そうに唇を歪めたが、言い返すにも分が悪いと思ったのか、ぷいと横を向いて投げやりに言った。
「殿下……。この国では戴冠はエスラントの王からということになっていますが……。」
 軽く眉を寄せ、やや躊躇いながらも、ジークムントは言葉を返した。セレスがそのことを知っていながら「戴冠」を口にしていることも、それがただ自分を困らせるためだけの冗談などではないことも、重々承知している。
「なぜいちいち隣の国の王など呼ばなければならないのだ!」
 案の定、セレスは勢いよく振り返ると、再びジークムントを睨み付けた。
「だいたい、私はあの国とは何の関わりもない。いちいち顔色を伺う筋合いなどないだろう。」
 忌々しげにそう続けた少年は、次にジークムントが口を開くより先に「支度をする。下がれ」と短く付け加えてくるりと背を向けた。
「……失礼致します。」
 ジークムントは丁寧な一礼を残し、皇太子の部屋を辞した。

 廊下をまっすぐに歩き、階段を降りる途中、ジークムントはふと踊り場で足を止めた。光が入るように大きくとられた窓からは、皇宮の正面の中央広場が見下ろせる。
 慣例通り、夜明けとともに鐘を鳴らし、半旗を掲げて皇帝の逝去を告げてから、半刻程になる。広場には、早くも花を手に皇帝に別れを告げに来る民が後を絶たない。中には、長い間跪いて熱心に祈る人や、半旗を目にした途端に泣き崩れ、ようやく人の肩を借りて立ち上がる者さえいる。
 いかに皇帝ゲルハルトが民に慕われていたかが、よくわかる。
 名君との別れを惜しむ民衆の姿を、しかしジークムントは複雑な面持ちで眺めていた。これだけの繁栄と栄光を帝都にもたらした皇帝は、それでも自分の身内は幸せにできなかった。正妃テレーゼは非業の死を遂げたし、側妃アイーダが彼に対して抱いた恨みは、その子セレスがそのまま、いや、それ以上に受け継いでいる。
 これほど民に愛された名君の身内関係がこんなに虚しいなどと、一体誰が思うだろうか。
 ジークムントは先程の憎々しげなセレスの顔を思い出し、軽く溜息をついた。実際に話が表に出るまでには至らなかったが、確かに、ゲルハルトが人事に関する法を変えようとしていたというのは本当だった。将軍を始めとする役職に女性を登用しようとしていたと小耳に挟んだが、セレスの言い様によると皇位もその対象だったということになるのだろう。
 その本意がどこにあるのか、ジークムントにはわからなかった。けれども、セレスが言っていたように、ゲルハルトがセレスの廃位を目していたともまた、考えられなかった。
「陛下からの言づてがある。『くれぐれも、あの子を頼む』、とな。」
 これが、老将が遺した言葉だった。アルトナーはそれ以上のことは口にしなかったが、セレスが毒を盛り続けていることに気付きながら、ゲルハルトは最期までセレスを気遣っていたことを、彼が示唆していたのは明らかだった。
 死に臨んだ老将のその言葉に嘘があるなどとは、到底思われない。
 なのに、その心はセレスには届かない。この不器用な父と子は、どこまでもすれ違う。あたかも、エスラント族とカッセーレ族の対立を象徴しているかのように。
「ハウゼン将軍。」
 窓の外を見下ろして再び溜息をついたその時、背後から呼ばれて彼は振り向いた。年若い兵士がぴんと背筋を伸ばして敬礼をする。ジークムントにまっすぐ向けられたその青い瞳には、カッセーレの人間に対する敵意や侮蔑の影は全く見られなかった。
 彼に限らず、若い世代の兵士たちには、ジークムントやセレスに、ごく自然に敬意をもって接する者が多くなってきた。これも、ゲルハルトやアルトナーの尽力の賜物だろう。
「こちらにおられましたか。そろそろ時間になります。大広間の方にお願いします。」
「ああ、わかった。すぐに行こう。」
 ジークムントが返事をすると、兵士は再び敬礼をして踵を返した。その後を追うように足を踏み出して、ジークムントはふと歩を止めて、一度振り返る。
 窓の外にはまだ、献花の列が途切れることなく続いていた。

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