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2、千年の憎しみ

 互いの視線に敵意や憎しみはなかったが、それゆえに一層、刃のような緊張は薄く鋭く研ぎ澄まされる。
「殿下はカッセーレの血を引いておられます。」
 次に口を開いたのはジークムントだった。彼の太い、低い声が湿った空間に静かに響いた。
「あなたならおわかりのはず……。いいえ、あなたには聡明すぎておわかりにならないのかもしれない……。リオルやエスラントとカッセーレは、1000年もの永きに渡って憎みあってきました。この皇宮で、この国で、カッセーレの血を引いた者が生きていくのがどういうことか……。以前、皇子と皇女が熱病にかかられた時も……。」
 言い淀むように言葉を切る。その口調は淡々としているだけに、余計にやりきれない無念さが滲み出ていた。
「あの時か……。本当に、セレシア皇女には申し訳のないことを……。」
 後を継いだアルトナーもまた、痛々しげに眉を寄せた。

 カッセーレの王女、アイーダの産んだ双子は、7つの時に2人同時に重い熱病を患った。が、皇宮の医師たちは、何かと理由をつけて2人を診ようとはしなかった。
 彼女が故国から連れて来た女官たちは皆、リオル皇宮の暮らしに耐えられずに逃げ出してしまっていたし、リオルの女官たちはアイーダに対して冷ややかだった。もとより、このアイーダが身ごもったのが早かったこともあって、この双子は皇帝の子ではないかもしれない、などと噂する口さがない連中もいたくらいだったのだから。
 さらに悪いことにはこの時、地方で紛争があり、皇帝も将軍たちも帝都を離れていた。アイーダが独り、自ら懸命に看病したが、皇子も皇女も回復の兆しさえみられなかった。
 いくさが終わって帝都に戻ったジークムントがこの事態を知り、すぐに皇帝ゲルハルトに直訴したものの、時は既に遅かった。兄のセレスはどうにか一命をとりとめたが、妹のセレシアの方は、アイーダの腕の中で息を引き取り、アイーダは哀しみのあまり、正気を失ってしまった。
 後に皇帝が医師長を呼んで厳しく叱責したが、その時、彼は皇帝の目を真直ぐに見て、こう答えたというのだ。
「確かに、私たちのしたことは医師としては許されません。この腕をもがれても、命を奪われても、文句はありません。ですが、今回はこうすることが、リオルのためでございましょう。」
 医師長は自らの職務に誇りを持つ実直な男だったし、皇帝も彼を信頼していた。その医師長の口から出たこの言に、さすがの皇帝も言葉を失い、彼に暇を申し渡すのがやっとだった。勝ち気な言動の目立ったアイーダはともかく、愛らしい幼い双子は父親にも懐いていたし、リオルの皇宮に馴染んできていたように見えていたので、その衝撃はさらに大きいものとなったのだろう。

「……あなたには、実力も人望もあります。必ず殿下を廃してあなたを立てようという人間が現れます。」
 しばし押し黙っていたジークムントは、再び重い口を開いた。
「あなたがいれば、この国は乱れます。」
「……。」
 アルトナーは黙ったままで、じっとジークムントの顔を見詰めた。その視線から逃れるかのように、ジークムントは床へと目を落とす。
「……抜いて下さい、閣下。」
 滅多に表情を表さない男だが、静かに短く告げられたその言葉には、わずかながら哀願の色さえ含まれていた。
「……。」
 彼の真意をさぐるかのように、アルトナーはなおも無言のまま、ジークムントをじっと見詰め続けた。
「私は……。恩のあるあなたに、恥辱を負わせるようなことはしたくありません。」
 大きな吐息の後に、観念したように吐かれたその言葉で、ようやくアルトナーは事情を呑み込んだ。誰が手を回したのか、おそらく皇帝殺害の首謀者として自分の名前が挙がるようにでもなっているのだろう。そうなれば、咎人の汚名を着せられるに留まらず、場合によっては一族の者や部下たちにまで類が及びかねない。
「だから……、抜いて下さい、閣下。」
 再び視線をアルトナーへと据えたその顔には、もはや迷いの色は見られなかった。
 もう後に退く手はないことを察して、アルトナーは小さく嘆息した。不思議と、気分は平静なままだった。不意に、この男に初めて逢った時の表情が今の彼のそれに重なるような気がして、奇妙な諦念と感傷とが去来した。

 父にも母にも似ない、燃えるような赤髪を持って生まれた皇帝ゲルハルトは、その容姿のみならず、行動においても何かにつけて異端であった。そんな彼にとっては、千年に渡る異民族との確執などさしたる問題ではなかったらしい。それともむしろ、折り合いの悪かった父親への対抗意識が先に立っていたのかもしれない。
 とにかく、ただリオルという国を強くすることだけを考えていた彼は、カッセーレとの国境に流れる西の大河に目をつけた。
 国全体が盆地であるリオル国内を流れる川は全て南の山脈から流れ出て、北の湿地帯から湖水地方へと流れ込んでいるが、神代の昔に双子の巨人が地を引き裂いてできたと伝えられるこの大河は、南の山脈を割ってその先の海へと通じている。河と呼び慣わされてはいるが、実際には細長い海なのだという学者もいるくらいだ。
 その真偽のほどはともかく、この大河を使うことができたなら、漁をすることはもちろんとして、水運の面でも大きな利益になることは間違いない。が、現状ではリオルには海にまで漕ぎ出せるだけの船を作る技術もなかったし、この河に船を出すこと自体がカッセーレに対する侵略行為と受け取られた。陸上では騎馬技術をもつエスラントに遅れをとるものの、カッセーレは強い水軍をもっており、水上ではエスラント側は手も足もでないありさまであった。このことこそが、エスラント側がこの大河を越えられなかった一因であり、長くこの2民族は大河をはさんでにらみ合う結果となっていた。
 が、風雲児ゲルハルトは、仲が悪いなら仲直りしてしまえば良いとばかり、カッセーレの国王に自分と末の王女との結婚を申し入れたのだった。当然、リオル国内の反発は凄まじいものだったが、彼は意にも介さなかった。ゲルハルトにとっては、この無益ないさかいを続けるのは無意味なことにしか思えなかったのだ。よもや、この思い付きが後にとんでもない悲劇を招くとは思いもよらなかった。
 一方、時のカッセーレ国王は、幸か不幸か、温和で思慮深い人だった。本来なら怒り狂ってもおかしくないような隣国皇帝の不躾な申し出に対し、しばしの深慮の後に、末娘は無理だが、そのすぐ上の姉姫なら構わないと答えてよこした。彼もまた、この2民族の争いに不毛なものを感じていたのだろう。
 かくしてゲルハルトとアイーダの結婚は相成り、ゲルハルト自ら花嫁を迎えに行くことになった。これに同行したアルトナーは、アイーダの従者として彼女に付いたジークムントに初めて出会うことになる。

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