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6、リオル脱出

 結局、アイリスの言葉通り、半刻程度で馬車の用意は整い、エスラントに向けて出発することとなった。
 当然のことながら、エルンストは馬車に乗るのは初めてだった。向い合うように席をとられた馬車は、まるで小部屋のように造りがよく、脇には小窓まで設けられている。馬の蹄が石畳を叩く音や、木の車輪が転がる音が規則正しく響いているが、とうてい浮かれた気分にはなれなかった。
 隣に座ったエマは、唇も拳も、青くなるほどに固く結んでいるし、向いのグレイグは何か考えているのか、軽く目を閉じていた。
 重い沈黙に耐えかねて少年が口を開こうとした時、不意に馬車が不規則に揺れて、蹄の音が止む。あやうく転がり落ちそうになったエルンストは、あわてて窓枠につかまった。
「……仕事熱心なことですねぇ。」
 おもむろに目を開けたグレイグはにこりともせずに呟いた。

「お待ち下さい。」
 帝都リオルの城門を守る2人の兵士が、一行の姿を認めて馬車の前に立ちふさがった。
「どうした。何かものものしいが。」
 自ら白馬を駆って馬車を先導していたアイリスは、緊迫した空気を感じ取って首を傾げた。
「北地区の方で騒動がありまして。ただ今、スラムの人間を外に出さないよう、戒厳令が出ております。」
 門番たちは、ぴしりと背筋を伸ばして馬上の彼女に敬礼をすると、そう告げた。
「そうか、ご苦労だな。アイリス・アルトナーだ。毎月の勤めでエスラント国王の慰問に参る。通っても良いな。」
「お待ち下さい!」
 ねぎらいの言葉を残して再び馬を進めようとしたアイリスを、門番は慌てて止めた。
「まだ、何か?」
「その、後ろの馬車には……。」
 訝しげな顔をするアイリスに済まなそうな顔を向けながらも、もう1人の方が、身を乗り出して後方を覗き込む。いつもアイリスが連れている供は、名物双子だけ。アルベルトは御者をしているし、弟のローベルトの方は、馬車の後ろで自らの馬を駆っている。となると、馬車の中にいるのは彼らの知らない人間ということになる。
「ああ、馬車には、わたしの客人が乗っておられる。帝都の薬師殿とその助手だ。」
 アイリスは馬に乗ったままでこともなげに答えた。手綱も握ったままで、すぐにでも馬を進めようという格好だ。
「……改めさせて頂きたいのですが。」
「わたしの客人だと言っているが?」
 不躾ともとれる門番の言葉に、さすがにむっとしたのかアイリスの顔が険を帯びる。後ろのローベルトは相変わらずの無表情だが、御者をしているアルベルトの顔つきも険しくなった。
「命令なのです。1人の例外もなく顔を改めよ、と。」
 が、門番の方も任務があるとばかりにくいさがる。
「誰から?」
「セレス皇太子殿下の許しの元に、リヒタ−将軍閣下からです。」
「……。」
 すっかり憮然とした顔をしながらも、アイリスは馬から降りた。つかつかと無言のままで馬車に歩み寄ると、その扉を叩く。いかに彼女でも、皇太子の名前を出されては従わないわけにはいかない。
「済まないが、一度降りていただけないか?」
「何ごとですか?」
 アイリスの言葉を受けて馬車を降りたグレイグは、兵士たちの方へと不機嫌な目を向けた。後から降りてきた子ども2人をそれとなく背にかばいながらも、門番の顔に疑いの色が浮んだのを見てとって、軽く舌打ちをする。
 暗い自分の店内ではさほど目立たないが、日の下に出てしまえば、グレイグの髪や肌の色や顔だちがエスラント族のそれから離れていることは、一目瞭然だった。それだけで、何かあった時には悪い心証を抱かれやすい。
 むしろ、それを全く気にも書けなかった先程のアイリスたちの反応の方が、例外なのだ。彼女の父親のアルトナー将軍が人種や生まれを問わない人で、彼自身、カッセーレの人間であるジークムント・ハウゼンを第三将軍の職に推したばかりか、娘婿にと望んでいるといわれているくらいだ。もっとも、彼の娘婿となると、実質大将軍家の跡継ぎになるわけだから、この結婚話は周囲の反発が激しくてなかなか進んでいないのだが。
 しかし、他の、特に貴族階級の人間となるとそうはいかない。この門番たちが良い例だ。
「スラムの人間が騒ぎを起こしたとかで、戒厳令が出ている。」
 兵士は鋭い視線を真直ぐにグレイグに注ぐ。青年は軽く目を細めて相手を見返した。
「……僕たちがスラムの人間に見えるとでも?」
 いかにも気を悪くしたというような、わざと押さえた低い声を出すと、門番の顔に一瞬だけ怯えにも似た色が走った。
 虎の威を借るのもまあ、方便としてはそれなりに使えるものだ。グレイグは内心苦笑しながらも、さらに兵士を睨み付けた。
「しかし、命令ですので……、そちらは?」
 幾分口調は丁寧になったものの、片方の兵士はめざとく青年の後ろを覗き込んだ。2人の子どもが息を呑んで身を固くする気配が伝わってくる。
「僕の助手と見習いですが……。」
 答えながら、グレイグは素早く考えを巡らせた。
 逃亡者が「スラムの子ども2人」であることは、確実にこの門番にも伝わっている。人相や髪の色はどうだろう。状況を見ていないグレイグには、それが目撃されていたかどうかはわからない。
 エマの方は髪型も変わっているし、栗色の髪は身分の高低に関わらず少なくはないから、人を特定する特徴にはなりにくい。おそらくそれほど印象には残らないだろう。だが、エルンストの金髪は目立つ。現実に、スラムの内部では彼の金髪は知れ渡っていたのだから。
 けれど、人間の先入観というものは、思いのほか根強いものだ。仮に逃げるエルンストの後ろ姿を見た衛兵がいたとしても、上流階級の人間はたいてい、金髪の者は身分が高いと思い込んでいる。状況も手伝って、それと気付いていない可能性は高い。
 それに、この一件が事情を知っている「上」の人間に仕組まれたものだとしたら、金髪という情報は伏せるはずだ。下手に勘ぐられれば、自分の立場の方が危うくなりかねないのだから。
 グレイグは意を決して奥歯を強く噛んだ。これできっと、「上」に報告が行くことになる。けれどここで時間を食うと、エスラント王慰問への同行ができなくなるかもしれない。今、帝都を出られなければ状況は悪化する一方だろう。第一、エルンストとエマが直接門番に尋問されることを考えるとぞっとする。
「顔を……。」
「いい加減にして下さい!」
 グレイグを押し退けようとした門番の手を振り払い、青年は声を荒げた。
「これがスラムの人間に見えますか?」
 乱暴な手付きでエルンストのフードを外し、その金髪をあらわにする。
「事情があって僕がお預かりしているだけで、この人はアイリスさまの親戚筋に当たる方なのに、こともあろうにスラムの人間と間違えるなんて……。」
 怒りを押し殺した声で続ければ、門番たちは慌てて、後方で憮然とした顔をして立っているアイリスをちらりと見遣った。そのすきに、グレイグはエルンストのフードを戻す。
 視線を向けられたアイリスは、苦笑して軽く肩をすくめた。親戚と言われたところで、少なくともリオルの将校以上の身分の家は、たいていどこかでアルトナー家と繋がっているのだ。いちいち全てを把握しているはずもない。
「もう通っても良いか? あまり国王陛下をお待たせするわけにもいかぬ。ただでさえ今回は馬車での慰問で時間がかかるのだ。」
 アイリスがうんざりした口調で言うと、任務とはいえ皇女代理に無礼を働いたという後ろめたさがあるのだろう、兵士2人は背筋を正して敬礼した。
「は、はい、失礼致しました。お通り下さい。」
「ご苦労。」
 3人が再び馬車に乗り込むのを確認し、アイリスは馬に飛び乗った。皮肉のまじったそのねぎらいに、門番たちは再び身を固くしながら道を空けた。
   

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