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 臆する風もなく名乗るグレイグの横顔を、エルンストは少し後ろから見上げた。装ったようなその表情が見慣れないものに見えて、ふと普段の彼はどんな様子だったか思い巡らせる。その戸惑いが覚めないままに、そっと視線を正面に戻せば、この大邸宅の令嬢の顔が視界に入った。
 本来なら、一生顔を見ることもないような、名門の令嬢。女性にしては高い背は、小柄なグレイグに並ぶ程だったが、その堂々とした姿勢がさらにこの女性を大きく見せていた。抜けるような白い肌に、豪奢な金髪、凛とした青い瞳。まるで世の中の卑小なものなど見たこともないかのような純粋さをまといながら、引き締まった表情のせいか、すらりとした身体つきのせいか、少女というよりは少年のそれを連想させる。
「ああ、薬師殿か。貴殿の薬にはいつも世話になっている。うちの者からもよく話を聞くよ。ふふ、皇帝陛下や国王陛下にもお引き合わせしたいくらいだ。」
 グレイグの名乗りを聞いた途端、アイリスは表情を和らげた。身体中に張詰めていた緊張と殺気が一瞬にして解け、代わりに興味深げな色が瞳に浮ぶ。
「しかし……、こんなにお若いとは思わなかった。」
 しげしげと顔を見られて、グレイグは苦笑した。
「ええと、よく若く見られますが……、僕はこれでも27です。」
「……え? いや、それでもお若いさ。腕が良いものだから、もっと年を召した方かと思っていた。」
 一瞬、明らかに隠しきれない驚きを顔に浮かべたが、アイリスはすぐに取り繕った。彼女の後ろでも、思わず瞬きをした部下2人が、軽くせき払いなどをしてごまかしている。
「……それで、今日はいかがなされた?」
 気を取り直したアイリスが表情を戻して用件を聞けば、グレイグの方もすぐに澄ました顔に戻る。
「先程の話なのですが……、厚かましいとは承知しておりますが、ぜひ一度エスラントの国王陛下にお目にかかりたいと存じまして。」
 遠慮がちに本題を切り出す青年の後ろで、エルンストは自分の胸が跳ね上がるのを感じていた。
「そうか。それは丁度良い。今から国王陛下をお見舞いに訪ねるところだったのだ。よろしければ同行なさるか?」
 が、少年の心配をよそに、アイリスは拍子抜けするくらいにあっさりとグレイグの意に沿う言葉を口にした。男勝りとはいえやはり令嬢といったところか、人を疑うという習慣はないらしい。慌てたのは彼女の部下で、赤い甲冑の男が急いで主人をたしなめた。
「しかし、アイリスさま。エスラントにもたくさん医師や薬師はおりますし、勝手に……。」
「薬師殿を召し抱えられるかどうかは国王陛下の決められること。お引き合わせするくらいは構わぬではないか。何ごとも試してみねば良いか悪いかわからぬ。」
 再びあっさりと部下の進言を却下し、アイリスはグレイグの方へと向き直った。
「いかがかな? 薬師殿。」
「願ってもないことに存じます。」
 グレイグが恭しく頭を下げると、アイリスは機嫌よく頷いた。
「そうか。よろしく頼む……。で、後ろは?」
 ひょいと彼女に覗き込まれ、エルンストは思わず身を固くした。傍らのエマの顔も強張るのがわかる。
「ああ、こちらですか?」
 グレイグは2人を前へ押し出した。大丈夫だと言い聞かせんばかりに、軽くその背中を叩く。
「こっちは僕の助手をしてくれているエマです。で、こちらは……。」
 ぎこちなく頭を下げて、エマは「よろしくお願いします」と小声で挨拶をした。そんな少女を目を細めて見たアイリスは、促されるままにエルンストの方へ視線を移す。
「僕たちはエルと呼んでおりますが……。とある事情がありまして、僕のところで見習いをしてもらっています。その、彼のお父上は名のある方なのですが……。」
 言いにくそうにグレイグは言い淀んだ。代わりにエルンストのフードを少しずらし、それとなく少年の金髪を示す。それだけで、たいていの相手は勝手に結論を出してくれる。
「庶子の子か……。全く、上の連中はくだらないことを気にするものだ。」
 案の定、それらしき事情を察して、アイリスは溜息を漏らした。
「上の連中」も何も、彼女自身が大将軍の令嬢なのに、と思わず目を丸くしていたエルンストは、次の瞬間、自分の顔を間近で覗き込む彼女の顔を見つけて、後ずさった。
「この薬師殿についていれば、そなたも良い腕を身につけられよう。恥じ入ることなどないさ。生まれを気にする者など、所詮は俗物よ。」
「……。」
 落ち着きのないエルンストの所作を、出生を恥じたためだと解したらしい。アイリスはそう言うと、戸惑った少年がただ瞬きを繰り返すのには構わず、にこりと微笑んで、再び青年の前へと戻る。
「こちらも紹介しよう。この赤いのがアルベルトで……確かこっちが兄だったかな……、それで黒い方がローベルトだ。」
 随分な紹介だったが、アルベルトの方は愛想よく微笑むと、軽く会釈を返した。対してローベルトの方は、ただ軽い目礼を静かによこした。
「見ての通りの双子だが、話しかければすぐに区別がつくさ。まあ、たいていアルは赤いものを、ローは黒いものを着てくれている。たまに悪戯をして入れ代わることがあるが。」
 アイリスがくすりと笑うと、アルベルトは慌てて言い返した。
「そんな子どもの頃の話を……。だいたい、あれはお嬢さまが……。」
「誰がお嬢さまだ。」
「え……いや、その。」
 が、関係のない失言に対する主人の一瞥で、すぐに引っ込む羽目になる。どうもこの男は間が悪いらしい。傍らでローベルトが苦笑いを浮かべた。
「それはともかく、薬師殿が同行下さるなら、すぐに馬車を仕立てよう。わたしが馬車を仕立てれば父上も喜ばれることだしな。アル、悪いが御者を頼む。」
 アイリスは軽く溜息をついて、髪をかきあげた。
「アイリスさま……。馬車に乗られるのですか?」
 主人の言葉に驚いて尋ねたアルベルトに、アイリスは真顔で向き直る。
「わたしが? 何故?」
「そう……ですか、いえ、そうですよね。何でもありません。」
 聞いた自分が馬鹿だった、と言わんばかりに口をつぐんだアルベルトに、アイリスは苦笑して肩をすくめた。
「どちらにしろ、馬車を仕立てれば街道を通ることになる。父上のお心には沿うさ。……では、薬師殿、すぐに用意をさせるので、半刻ほどお待ちいただけるか?」
「ええ、お手数をおかけ致します。」
 グレイグが深々と頭を下げると、アイリスは軽く礼をして、踵を返した。アルベルトがすぐにそれに続く。ローベルトは2人の後を追い、ふと足を止めて振り向いた。エルンストの方をじっと見詰め、再び背を向けて主人の後を追う。
「……どうかしたのか?」
 さすがは双子といったところか、ローベルトの行動に気付いたアルベルトが弟の横に並ぶ。
「いや、気のせいだ。」
「何が? 気になるじゃないか。」
 気の短いところのあるアルベルトは、さらりと言い流そうとしたローベルトに問いを重ねた。
「似ている、と思ったのさ。あの少年の顔だちがアイリスさまに……。どうということでもないし、気のせいだ。」
 ローベルトは苦笑をすると、立ち止まろうとした兄を促し、足を進めた。

「何と言うか……、剛毅な姫ですねぇ。噂には聞いていましたが。ま、話が通ればそれでいいんですけどね……。」
 3人の背を見送り、グレイグはぽつりと呟いて頭をかいた。ちらりとエマとエルンストを伺ったが、2人とも頷いたり笑みをこぼす余裕もないらしい。青年は、小さく溜息をつくと、晴れ渡った空を見上げて、目を細めた。まだまだこれから先のことも考えなくてはならない。馬車ならば、エスラント王都までは、5日の道のりといったところだろうか。
     
     

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