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5、将軍の娘

「しかしアイリスさま、エスラント国王の慰問も大切な公務です。日程だって前から決まっていたことですし、国王陛下も楽しみに待っておられます。」
「わかっているさ!」
 極めて事務的な傍らの男の声に、アイリスは足を止め、苛立ちをぶつけんばかりに勢い良く振り向いた。
「……わかっているさ、ロー。」
が、黒い甲冑を身につけたその相手が変わらず平静な顔をしているのを見ると、声のトーンを落とした。あまり表情を表に出さないこの男には、怒鳴りがいがない。
 かわりに緩やかに波打つ自らの見事な金髪を、けだるそうにかきあげる。初夏の陽射しに透けて揺れる柔らかな髪は、まるで日の光を梳いたように蜜色に輝く。
 普段から甲冑に身を包み、男顔負けの馬術と剣技を持つ彼女も、この髪だけは気に入っているのだろう、切ったりひっつめたりせず、手入れにだって余念がない。そして、その時だけは年頃の娘相応の顔をする。
「国王陛下はわたしから見ても大伯父にあたられる。お慰めしたいのはわたしとてやまやまだ。今の陛下は、あまりにもお痛わしい……。」
 溜息の後にそう続けると、アイリスはわずかに目を臥せ、再び足を進めた。別に慰問自体が不満なわけではないのだ。
「ええ、テレーゼさまの一件は本当にお痛ましかったのでしょう。もう15年近くにもなるのに……。まあ、無理もありませんが……。」
 反対側に従っていた赤い甲冑の男もまた、沈痛な面持ちをして頷いた。先程、アイリスにローと呼ばれた黒の男と顔だちも体格も瓜二つ。違うのは表情が変わりやすいことくらいで、一目で双子と知れる。
 宗主国エスラントとその騎士国リオルとの間には、いくつかの規約がある。中でも最も重要なものの一つがエスラント王女とリオル皇帝の結婚であり、その子に優先的に皇位継承権が与えられることである。事実、リオルの二代目以降の皇帝は全てエスラント王女を母としている。
 現エスラント王の一人娘テレーゼもその規約通り、皇帝ゲルハルトの妃として迎えられた。しかしこの時、既にゲルハルトは敵国カッセーレの王女アイーダを側妃とし、男女の双子をもうけていた。また、エスラントの王にテレーゼ以外の子ができなかったこともあって、この輿入れには様々な思惑が絡むことになった。
 リオル皇帝ゲルハルトはこの結婚によりエスラント王位継承権をも手中に入れた。敵国カッセーレの血を引く皇子が皇位につくことに抵抗を示したリオルの重臣たち、リオルに対する発言権は保ちたいが、ゲルハルトに王位を譲りたくないエスラントの高官たちは、一刻も早いテレーゼの懐胎を望んだ。一方で、テレーゼの懐妊により、その地位が危うくなるアイーダとの確執は当然ながら激しいものだった。
 どろどろとした思いの渦巻くこの結婚は、もともと身体の強くなかったテレーゼにとって、積る心労となったのだろう。輿入れの翌年に身ごもったものの、その経過は思わしくなかった。故国エスラントに一時帰国することになったが、その途上で賊の襲撃に遭い、非業の死を遂げた。この時、わずか18歳だったのだから、父王の嘆きはいかばかりであったろうか。
 一方、皇帝ゲルハルトもまた悲嘆にくれ、自らの政策を一変させた。それまでは、周囲の反対を押し切って敵国の王女を妃に迎えたのを初め、帝都に反抗的な地方勢力を武力で制圧したりと、強硬で強引な政策が目立っていたが、一転、内政面に力を入れるようになった。
 治水を兼ねて運河を整備し、農地や居住地、水運を確保して物流を盛んにし、各商工業ギルドの独占権を奪い、商人の新規参入を容易にする一方で、その同業者組合としての組織は保護した。人、物の流れを盛んにし、商工業を発達させ、国の活性化をはかった。また、法を整備し衛兵に街を巡回させ、治安を引き締めながら、貧困層の保護や教育の普及にも乗り出した。
 私怨を捨て、貧困層が賊に身を落とさなくて済むように国を底上げすることで、次の悲劇を未然に防ごうというのだ。
 これだけの改革を、周囲の反対を意に介さない持ち前の行動力で断行し、ゲルハルトはこのわずか10年あまりの間に、帝都を見違える程豊かにしてみせた。結果として、皇帝の地方への影響力も大きくなった。
 最初の方こそ非難や不満の声があがりはしたが、この政策転換は最終的に民に広く支持された。ゲルハルトは名君と称され、その命をもって彼の目を覚まさせたテレーゼの墓前には、今も花を捧げる人が引きも切らない。
 しかし、だからといって、最愛の娘をこのような形で亡くした父親の哀しみが減じるはずはない。自身も歳をとってから一人娘を授かったアルトナー将軍には、王の悲哀が他人事とは思えないのだろう、アイリスを頻繁にエスラントへ見舞いに行かせるのだ。アイリスとても、その父の気持ちがわからないわけではない。アイリスにはテレーゼが健在の頃の王の姿の記憶はほとんどないが、それでも今の王が、自分の想像もつかないほどに心を痛めているのはわかる。
「けれど……。」
 アイリスは憮然とした顔で溜息をついた。
「何もこんなときに、追い出すように行かせることはないではないか。皇宮では何やら騒がしいらしくて、父上はずっと出ずっぱり。なのに、わたしには何も教えて下さらない。わたしももう19だというのだ、いつまでも子どもあつかいしなくてもよいではないか。」
 その言葉に、傍らの赤い鎧の男は密かに苦笑を漏らした。リオルでは、どんなに身分が高くても女性が政治に関わることはまずない。だから、アルトナー将軍も娘に何も言わないのだ。けれど、この甲冑姿の剛毅な令嬢に、うかつに「女なのだから……」などと答えようものなら、大変なことになる。
「将軍閣下もアイリスさまに余計な心配をかけたくないのですよ。」
 無難な言葉を探したつもりだったが、口にした答えは、お世辞にも上手いとは言えなかった。
「それが子ども扱いだと言うのだ、アル。」
 案の定、主人は彼に不満げな顔を向け、唇を尖らせる。
 言い捨てて再び足早に歩を進めようとしたアイリスは、反対側の黒の男が足を止めたのに気付き、立ち止まった。顔を正面に戻せば、ちょうど門の向こうに、見慣れない学者風の3人の客人の姿が見えた。アイリスの視線に気付いたのか、先頭に立った青年が軽く会釈をしてよこした。その後ろで弟子と思しき2人の子どもが、ぎこちなく頭を下げる。
「失礼致します。アルトナ−将軍のご息女、アイリスさまでいらっしゃいますか?」
 青年の言葉に、赤い甲冑の男が、アイリスを庇うように前にでかけた。アイリスはそれを制し、自ら青年の方へと歩み寄る。
「確かに、わたしがアイリス・アルトナーだが……。」
 アイリスは、用心深い視線を相手に据えたまま、客人の質問に答えた。頭の中の記憶を辿ってみるが、確かに見覚えのない青年だった。黒に近い焦げ茶の髪と瞳、黄味の強い肌の色といい、彫の浅い顔だちといい、エスラント族の血が薄いのだろうということは一見して伺える。
「失礼致しました。僕は、西地区で薬師をしているグレイグ・ハサルトと申します。」
 穏やかな笑みさえ浮かべて青年はそう名乗ると、再び深々と頭を下げた。
   

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