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4、策士

「どうも衛兵が聞き回っているようですね……。まもなくここにも来るでしょう。」
 グレイグは溜息をつきながらそう言うと、エルンストとエマを部屋の隅へと促した。そこに置かれている巨大なかめの蓋をおもむろに両手で持ち上げる。
「よっこいしょっと……。2人とも、しばらくここに隠れていてください。ちょっと暗くて狭いですけれど、我慢してくださいね。」
 ぽっかりと口をあけたかめは、確かに子ども2人くらいならゆうに隠れられそうなくらいの大きさだった。
 促されるままに、2人が無言で暗いかめの中に身を沈め、非力なグレイグが難儀して蓋を乗せた頃、玄関の扉が激しく叩かれた。
「全く……。はかったような間合いですねぇ……。」
 グレイグは呆れたように呟くと、軽く肩を叩きながら玄関へと向かい、薄く扉を開ける。
「……何かご用ですか。」
 空とぼけて尋ねながら、青年は素早く扉の外を伺った。立っていたのは衛兵が2人。見るからに短気そうな若い兵士と、その上官と思しき初老の兵士。どうやら、居住区を聞き回っているのは、この2人らしく、他に衛兵の気配はない。おそらく、居住地への配慮と、できるだけ騒ぎを大きくしたくないという思惑が働いているのだろう。
 ということは、この2人さえ追い返してしまえば、何とかなるということだ。
「この居住区へスラムから罪人が逃げ込んだと報告があってな。中を改めさせてもらいたい。」
 年配の方が、重々しく口を開いた。ここまでに目に見えた収穫がないことに苛立っているのだろう、その隣で若い方は、あからさまに睨むような目を向けてくる。
「今ちょっと実験中でして忙しいのです。できればご遠慮願いたいのですがね。」
「何だと! 貴様、逆らう気か!」
 グレイグが慇懃無礼に断りの返事をすると、若い衛兵は途端に顔を紅潮させ、声を荒げた。すぐに上官が片手で彼を制し、強い視線でたしなめる。
「ご無礼をお許し願いたい。が、こちらにも任務があるし、貴殿の安全のこともある。決して手間はとらせないゆえ、中を改めさせて頂きたい。」
 店主に向き直った衛兵は、深い青色の瞳をまっすぐに彼へと向けた。丁重な口調ながらも、断固とした意志が伺える。
「……。」
 グレイグは努めて無表情を装い、年配の衛兵を見返した。
 グレイグは帝都の中でも、妙な実験にうつつをぬかす変人として通っているし、時には魔術師ではないかと囁かれることさえある。そしてまた一方では、そんなことができるのも実は有力貴族の後ろ楯があるからだ、などという噂がまことしやかに流れている。
 そうと自分で認識しているグレイグとしては、適当に誰か貴族の名前でも仄めかして2人を追い返してしまいたかったのだが、この年配の衛兵にはどうやら通じなさそうだ。自らの任務への忠誠心の塊のような眼差しには、全く退く気が感じられない。
「……わかりました。手早くお願いします。くれぐれも、中のものには触らないで下さいね。」
 青年がしぶしぶと戸を広く開けると、年配の方はこの店主に軽く一礼をして、若い方は敵意のある一瞥をくれると足音も荒く、店の中へと踏み込んだ。
 2人がたいして広くもない店の中をあちこち検分し始める。居住区の捜索も南端のここが最後になるはずだ。今までに収穫がない上に、帝都でも噂の変人の店となると、ここの検分に熱が入るのも、もっともだといえる。
 グレイグは時折急かすような言葉を投げながら、うんざりといった表情で2人を眺めていた。
「ところで、罪人ってどんな風体なんですかね? これほど大掛かりに探すということは、よっぽどの罪を犯したんでしょうねぇ。」
 手持ち無沙汰を装って、グレイグがぼそりと尋ねると、若い方が勢い良く振り返って、キッと青年を睨んだ。
「貴様には関係ない!」
「関係ない、で調剤のレシピを荒らされるのはあまり気持ちのいいものではないのですよ。たとえあなたには無用の長物でも、僕には秘蔵のものですからね。」
 青年が鼻白んで言葉を返せば、若い男はぎりぎりと奥歯を鳴らした。勢い良く踵を返そうとした彼の頭に、ついに上官のげんこつが落ちる。
「失礼致した。けれど、命令が下っているゆえ、申すわけにはゆかぬ。ご了承願いたい。」
「そうですか……。」
 グレイグは頬で笑みをつくりながら、密かに舌打ちをした。
 おそらく見た目からグレイグを自分より年下と見なし、見下してくる若い方とは違い、上官の方はなかなか挑発には乗ってこない。それでいて、検分を緩める気配もない。実際、部下と同じくらいには、グレイグを怪んでいるのだろうが、それをあからさまにはしない。さすがに年の功といったところだろうか。
「何だ、これは!」
 上官に叱られて、部屋の探索を再開していた衛兵が、不意に大声を上げた。その指先を見て、さっとグレイグが青ざめる。彼が指差していたのは、こともあろうにエルンストとエマの隠れた巨大なかめだった。グレイグの顔色の変化を見て取り、上官が部下に視線を送って開けるように促す。
「いけません、それに触らないで下さい!」
「ほぉ、充分に子ども2人くらい隠れられる大きさだな。貴様、罪人をかくまうとどうなるかはわかっているんだろうな。」
 若い衛兵は先程までの意趣返しとばかりに、口元に嫌な笑みを浮かべた。
「いけません、それだけは開けないでください。」
 なおも言いすがるグレイグに嘲笑の眼差しを向けて、男は一気にかめの蓋を開けた。が、次の瞬間、のどと口元を押さえて転げ回る。
「これは……何だ。」
 店内にたちこめる悪臭に、さすがの上官も口と鼻をおさえてうめいた。
「……だから言ったじゃないですか。」
 あらかじめそで口で鼻を押さえていたグレイグは、憮然とした口調で続けた。
「今、そこのかめで薬草を醗酵させていたところなのです。途中はすごい臭いがするから密封しておいたのに……。これで、その薬だっておじゃんです。せっかくの手間が水の泡です。」
 いつもの少しとぼけた口調に、わずかながら怒りの色を滲ませると、いまだ床に転がって激しく咳き込んでいる男が、涙の滲んだ目を向けた。さすがに間近であの臭気を吸い込んだとあっては、睨む気力もないらしい。
「失礼致した……。ご協力、感謝致す……。ほら、しゃんとしろ。戻って城門を封鎖するよう、門番に伝えるぞ。」
 上官の方は、なんとか体裁をとりつくろうと、部下をひきずるようにして出て行った。それを見送りもせず、グレイグは再びかめに蓋をし、床中に白い粉を撒いた。
 窓から外を覗き、2人が去ったのを確認すると、今度は上げ底ごとかめの蓋を持ち上げる。
「よっこいしょっと……。さて、もう出て来ても大丈夫ですよ。2人とも、よく頑張りましたね。ああ、先程臭い消しを撒きましたから、もう鼻をつまむのをやめていいですよ。このままじゃあ、ご近所に迷惑ですからね。」
 2度目の重労働に肩で息をしながらも、ぽっかりと空いた暗闇を覗き込めば、4つの目が青年を見返した。
     
 

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