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「よう、ルッツに王子にエマじゃないか。」
 端の露店の男が3人に気付いたらしい。にんまりと商売っ気たっぷりの笑みを向けてくる。
「へぇ、けっこういろいろ揃ってるじゃないか。」
「まあな。」
 ひょいと覗いたルッツが冷やかせば、男もにやりと口元を持ち上げた。が、目だけは笑っていない。商売人というものはおよそこういうものなのだろう。
「本当、最近はこっちにもよく品が回ってくるようになったぜ。これもゲルハルト陛下のおかげだな。お前らは知らないだろうが、ここ10年ちょっとだぜ、これだけの品が回ってくるようになったのは。その前にゃスラム狩りなんかも時々あったもんだぜ。」
「スラム狩り?」
 いちいち些細な話題にも耳を傾けるくせのあるエルンストは、品物から目をあげて男の顔を見た。かるく首を傾げて、続きを促す。
「ああ、衛兵なんかがスラムに来てな、手当りしだいにものを壊したり、人を殺したりするんだ。」
 聞き返されるとは思ってなかったのだろう。男は少し苦笑いを浮かべた。
「どうしてそんなことするの?」
「知るかよ。スラムの人間が財布すったとか言ってたりするが、要は気紛れか八つ当たりだろ。」
 男は肩をすくめてみせ、この話は終わりだと言わんばかりに口調を変えた。
「ところで王子さま、本日は何をお召しになりますか。この通り、品は揃っておりますので存分にお改め下さいまし。」
 恭しく片手を差し出し、茶目っ気たっぷりに似合わないお辞儀までしてみせる。
「もう……。」
 言い返す言葉も出てこなくて、少年はかるく頬を膨らませた。つい、と目を逸らせば傍らで何かに見入っているエマの姿が目に入る。
「欲しいものあったの? エマ。」
 声をかけると、エマは慌てて顔をあげた。頬を赤くして、ごまかすように首を振る。エルンストは構わず、エマの肩ごしに品物の並んだ台を覗き込んだ。彼女が自分から、欲しいものがあるなど言い出したりしないのは初めからわかっている。
「これ?」
 14年来の付き合いなのだから、ごまかしたところでエマの好みそうなものはだいたい見当がつく。エルンストは数度視線を往復させて、目星をつけた。羽根を象った小さな銀の耳飾りをつまみあげると、エマはますます顔を赤らめ、困ったように視線を彷徨わせた。
「おや、何か気に入ったものがあったかい、エマちゃん。」
 商談の匂いをかぎとってか、男はすぐに愛想のよい笑みを浮かべた。声までが猫なで声に変わっている。
「ああ、お目が高いねぇ、お嬢さん。ところであんた、市の立ってない時によくここで歌ってるだろう? やっぱり歌うたいはこういうのつけなきゃな。うん、きっとよく似合うよ。金貨3枚ってとこ。どう?」
「え……と。」
 エマは俯いて一歩下がってしまう。代わりに交渉に入ろうとしたエルンストが口を開くよりも一瞬早く。
「随分とふっかけるじゃないか。1枚くらいが相場だろ?」
 すかさずルッツが間に入り、大胆に値切り始めた。
「馬鹿言っちゃいけないよ。装身具なんてこっちには滅多に入らないんだぜ? お嬢ちゃんに免じてまけても2枚だ。」
「にしても足元見過ぎじゃないか、1枚半。」
「半端なこと言うなよ、男らしくないぞ。」
 値切り合戦がこうも熱を帯びてくると、エルンストには出る幕がない。とてもルッツのように大胆にはいかない。エマも胸元で拳を握りしめたまま、おろおろと落ち着かなさそうに目を彷徨わせていた。が、不意に視線を留めて、声をあげる。
「あのっ、このお鍋と一緒で2枚ってどう……です……か。」
 少女の高い声は、小さくてもよく通る。振り向いた男2人は一様にぽかんと口をあけた。ルッツの方は、妹の手にあるものを見てあからさまにぎょっとした顔をする。口をついて出てしまった、といった風情のエマの声は、だんだんと消え入らんばかりに小さくなっていった。
「あっはっは……。参ったね、お嬢ちゃん。」
 男はさも愉快そうに笑うと、ぴしゃりと自分の額をたたいた。
「お嬢ちゃんにはかなわないや。俺の負けだよ、持ってきな。」
 耳飾りを小さな袋に入れて、エマに渡す。鍋の方はそのままルッツへと押し付けた。半ば呆然としたままのルッツは、のろのろと金貨を2枚取り出して男に渡す。
「ま、今度から歌うたう時は、それつけて歌ってくれ。んでもって、俺の店で買ったって言うんだぜ。」
 ぱちん、と片目をつぶって、男はにやりと笑ってみせた。
「うん。そうします……。ありがとう。」
 エマが小声で礼を言うと、男もにこやかに笑う。
「ああ、また来てくれよ、ありがとう。そうそう、あんたの歌、好きなやつはこの辺り多いぜ。じゃあな。」
 片手をあげて挨拶した男は、すでに人波の方へと目を向けていた。
 3人は思い思いの挨拶をすると、その店を離れた。男はすぐに次の客をつかまえて売り込み始める。
「しっかし、お前も大胆だよなぁ。この鍋そこまで値切るかよ。これだけで金貨1枚はするぜ。あの男、大損だな。」
 市の喧噪を離れ、ルッツは先程手に入れた鍋でこつりと自分の頭を軽く叩いた。
「だって……、今のお鍋お水漏るんだもん……。粘土で塞いでたけど、だいぶ穴が大きくなっちゃって……。」
 エマは、恥ずかしそうに俯いたまま、唇を尖らせる。ルッツはかるく肩をすくめた。
「ま、これで今夜はうまいもの食わせてくれよ。」
「うん。期待してて。」
 兄の軽口に、妹はようやく笑みを見せた。
「……エルも、兄さんも、ありがとう。これ……、嬉しかった。」
 ずっと握りしめたままの耳飾りを示して、エマは本当に嬉しそうに笑う。
「じゃ、帰るか。」
 照れた顔をごまかすように頭をかきながら、2人を促そうとしたルッツだったが、不意に真顔に戻った。エルンストもそれに気付いて、進めかけた足を止める。
「何、この匂い……。」
 ひどく焦げ臭い。鼻から入り込んできて喉を焼くような、からみつくような匂い。今まで気付かなかったのが不思議なほどの不快な匂いに、少年は思わず顔をしかめた。
「煙っ!」
 エマが悲鳴にも似た声をあげる。つられるように空を仰げば、青空にたち昇る数本の黒い煙が目に入る。それは、まぎれもなく彼らがこれから帰ろうとしているスラムの方角だった。
 誰も合図などしなかったが、3人はほぼ同時に弾かれたように走り出していた。

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