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2、輝ける水の都

 薄暗い店を出ると、眩しいくらいの陽光が少年たちの目に飛び込んでくる。
「あぁ〜、い〜い天気だなぁ〜。」
「兄さん……。」
 澄み切った青空に両手を突き上げ、大きく伸びをしたルッツをエマが小声でたしなめた。
 無理もない。ここは帝都の居住区、天下の往来。道往く人々は決して少なくない。その視線がちらちらとこちらに向けられるのだ。傍らにいる者にはたまったものではない。
「こんなにいい天気だというのに、あんな暗いところでじじむさい話なんか聞いてられっか、なあ王子?」
 が、当人は妹の注進を何ら気に留めることなくからりと笑ってエルンストの方を向いた。
「ん? そうかなぁ。」
 肩まである緩い金髪を揺らして、少年は曖昧に笑う。
 実を言えば、エルンストはグレイグの話を聞くのは嫌いではなかった。
 かつて独特の文明を持っていたといわれる、失われた古えのエレム。領地をめぐって何度も繰り広げられたカッセーレとの激しい攻防。内政に外攻にと知恵をめぐらせた代々の王や皇帝の話……。
 あの青年の独特の語り口を聞きながら空想をあそばせるのは、彼にとってはまたとない楽しみの一つでさえあった。
 けれども、ルッツはとてもではないがじっと座って話を聞いていられるタイプではないし、おとなしいエマはエマで戦争の話が受け付けないのか、いつも引きつったような顔をするので、この兄妹の手前、自分からグレイグに話をせがんだりはしなかったが。
 2人から目を離して見上げれば、遠く、この街を囲むようにそびえたつ黒々とした城壁が目に入る。リオルの象徴とも言えるそれを見る度、いつかグレイグに聞いたこの都市の成り立ちを思い出す。
 かつて、この地方はエレムやカッセーレといった先住民族たちの土地だったという。そこに、現在リオルやエスラントの国を作っているエスラント族が移動してきたのが1000年程前。
 エレムを初め、多くの民族は結果として新たな民族と混じりあい、古来の姿を失っていったが、カッセーレはこの侵略者と徹底的に戦った。何度となく繰り返された激しい戦いの末、カッセーレは西の大河の向こうへと追いやられ、エスラントがこの地に広大な王国を立てた。
 その時の長い戦いの中でエスラントの最前線として築かれ、後にはエスラントの傭兵隊長だったカイザーが、独立帝国を打ち立てる足掛かりにしたのが、この難攻不落の城塞都市リオルだった。
 今となっては、この高い城壁と、かつては堀を兼ねていたという街中にはり巡らされた運河のみが、わずかにその戦いの名残りを残しているだけで、かつてここが激しい戦場だったなどとにわかには信じがたい。
 街中の往来には白い石畳が敷き詰められ、整備された大通りの脇には、鮮やかな若葉を繁らせた木がさやさやとゆれる。中央には、4つの尖塔に囲まれた壮麗な白亜の宮殿がそびえ立ち、その南には清らかな水を吹き上げる噴水を備えた中央広場が広がる。
 その白い街並に、わずかにさざめく運河の水面に、艶やかな木々の葉に、温かな陽射しは陽気に跳ねる。往来を行く人の顔も皆穏やかで、高い城壁に囲まれた閉塞感のようなものはほとんど感じさせない。
 その様子はまさに、皇帝の力強い腕(かいな)に守られた、輝ける水の都と呼ぶにふさわしい。
「さてと。」
 思う存分に身体を伸ばして満足したらしく、ルッツが少しもったいぶって口を開いた。エルンストも思索を中断してこの年長の少年を振り返る。
「金も入ったことだし、市にでも寄ってくか。王子もエマも、欲しいものがあったら言うんだぞ。」
 手の中のコインをちゃりんと鳴らし、ルッツはにやりと笑った。鼻の頭にしわをよせて笑うのが、兄貴風を吹かす時の彼のくせだ。
 実際、物心つく前に親を亡くし、ルッツの母親に育てられたエルンストにとっても彼は兄のようなものだし、その母が亡くなり、3人身を寄せあって暮らすようになってからも、ずっと頼りになる兄には違いなかった。
「寄るも何も……。通り道じゃない。」
 控えめな口調ながらも、エマがもっともな注釈を入れる。
 確かに、ここ、グレイグの店があるのは、帝都の中でも主に居住区となっている西地区の南端。中央広場につながる大通りから1本奥に入ったところにある。そして、エルンストたちの住むスラムは、帝都の北地区。
 ちょうど西地区と北地区の境目に小さな広場があり、そこで毎日のようにこまごまとした市が立つ。
 品揃えで言えば、宮殿の南にある中央広場で開かれる市のほうがはるかに多いらしいが、こちらには貴族階級の人間が出入りすることが多く、スラムの人間はあまり歓迎されない。
 とはいえ、現帝ゲルハルトが国内の運河の整備に力を入れ、人と物の流れを促進する政策をとっているせいか、それとも栄華を極めた都市の余裕ゆえか、一部の貴族階級を除けば帝都の民は、スラムの人間や物乞い、流れの芸人といった人種にひどく寛容であると言えた。何しろ、エルンストたちのように親を失った子どもたちが、盗みも売春もやらなくても生きていけるのだから。
「まあ細かいことは気にするな。とりあえず行くぞ。」
 そう言って豪快に笑い、ルッツは2人の肩を叩いた。エマもエルンストも、少し苦笑の混じった笑みを零して、歩き出す。

「お〜、やってるやってる。」
 たいして広くもない空間にひしめくように立ち並ぶ露店を遠目に認め、ルッツは額に掌をかざして目を細めた。
 その声に、他愛のない話をしていたエマとエルンストもしゃべるのをやめて、前方に目を向けた。
 途端に、賑やかな喧噪が耳に入ってくる。
 申し訳程度の日よけの下に台を出して、あるいはゴザを敷いた地面の上に、思い思いの品物を並べた男や女が、客引きの口上を大声で述べる。
 客の方は、立ち止まって眺めたり、売り手をひやかしたり、あるいは本格的に値切りに入ったりと、こちらも思い思いに相手をしている。
 エルンストは自分の口元が緩むのに気付いて、軽く頬をさすった。この雑然とした活発さがたまらなく好きなのだ。飾らず、気取らず、心のままに動いている人たちを見ていると、胸が踊って仕方ない。
「よし、じゃあ、行くか。」
 ルッツの言葉を耳だけで聞いて、エルンストはしっかりと頷いた。
    

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